高校文化祭。クラスのテーマ、お化け屋敷。
芦川くんって何でも似合うねと嬉しくない言葉を貰う。白い着物を着せられ、顔にべたべた様々なものを塗りつけられ。教室に入ってくる女子が美鶴を見て黄色い悲鳴を上げる。おい、なんだか方向性が違うんじゃないのか。脅かし役はもっとおどろおどろしくならなきゃいけないんじゃないのか。なんでこんな、きらびやかな。突き付けられた鏡の向こうにうつる自分を見て溜息をつく。まるで女装。お化けなのに。不満が伝わったのか化粧係は大丈夫大丈夫とぎこちなく微笑み、足もとの血糊に手を伸ばす。
「目、瞑って」
「ん」
頬にぬるりと嫌な感触。細目を開けて見てみるとなかなかそれっぽくなっている。
がらり。教室のドアが開く。
「みんなジュース買ってきたよー!」
亘だ。息を切らして大きなビニール袋を両手に持っている。ドアは足で開けたらしい。美鶴は背を伸ばして亘を見た。こっち見ないかな。教室に残っていたクラスメイトはあっという間に亘に群がり、亘はもみくちゃにされていた。じゃれ合いが始まる。
「え、これ誰の金」
「せんせー」
「うそマジ? あいつ金出してくれたの?」
「やるじゃん亘」
「えへへー。もっと褒めて」
「俺カルピス!」
「アクエリ」
「茶ー」
「痛いってば押さないでよ。ほら並ぶ並ぶ!」
亘は美鶴に気付かない。ち、舌打ちすると化粧係が苦笑した。
「何」
「ほんっと仲良いよね」
「……ああ。別に」
「ふうん? 三谷くん、芦川くんのぶんのジュース頂戴! 今こっち動けないから」
余計なことを。見られたくないのに。と思う反面、少々妙な期待が頭をもたげる。化粧で普段より二割増しくらいきらきらしている自分を見た亘の反応が気になる。周りの女子と一緒になってきゃあきゃあ騒いだりするだろうか。亘のそういう姿を見るのは嫌いではなかった。……かわいいから。
しかし亘は美鶴を見ると持っていたビニール袋をがしゃんと盛大に落とした。缶が床にばらまかれる。教室中がしんとなる。
「亘?」
誰かが亘の名前を呼ぶ。亘は動かない。目を見開いて美鶴を見ている。
「……どうかした?」
見つめられて思わず訊ねた。
「あ、の。えっと、ごめん。ちょっと僕トイレ!」
がらがらぴしゃん。脱兎の如く。
化粧係と目を合わせた。化粧係も眉を寄せて首を傾げる。ただならぬ空気が空間を支配する。なんだなんだとざわつくクラスメイトたち。
教室のドアが再び開く。亘、と思ったら違った。別の女子。教室の状況を見て彼女は小さな声で発言した。
「喧嘩?」
ほぼ全員が首を横に振って答える。
「なんか泣いてたんだけど三谷くん」
何だって?
気が付いたら立ち上がって床を蹴っていた。
「芦川?」
「探してくる!」
こちらも脱兎の如く。
残された友人たちは、
「……俺らなんかしたか?」
「いや、違くね?」
「ていうか芦川。あの格好のまま」
「……まあ、芦川くんなら似合ってるし」
「でもあれでうろつくのはちょっと」
「……三谷くん、どうしたのかな」
「芦川がなんとかするだろ」
「でも泣いてたって」
「…………なにも、してねえよな、俺ら」
全員で狼狽える。亘の泣き顔など誰も見たことがなかったのだ。彼はたとえ凹んでもめそめそするタイプの人間じゃない。
「…………準備始めっか」
「………………そうだね」
床の缶を拾い集めることから始めた。幸い炭酸は無かったので良しとする。
もしもまた美鶴を失うときが来るとするなら、そのとき自分は、どうするだろうか。怖かった。どうしようもなく怖かった。血。ぬめる血が自分の頬を汚す。美鶴の手。冷たい手。ひやりとする温度。まるで、 みたいな。僕を置いていかないで。お願いだから側にいて。だれか助けて。美鶴を助けて。ぼくの。美鶴を。殺さないで。
いやだ。
怖い。
いなくならないで。やめて。
やめて。
「ワタル?」
声を掛けられて思わずびくりと竦む。我に返る。ここはどこだ。膝の高さまで草が生えている。風に揺れて、制服越しとは言えちくちく痛い。――中庭、だった。ぎこちなく声のした方を見るとそこには、
きれいな。血みどろの。
やめて。
嫌だ。やだやだやだやだやだ。
「亘……?」
ざ、と血が退いていく。耳鳴り。いっそ倒れてしまいたい。自分が先に倒れてしまえればいい。美鶴が死ぬ前に。自分が。
美鶴の頬は赤い。きれいな赤。きれいな血。赤い。赤。赤赤赤赤。真っ赤。ぷつりと盛り上がった赤い水滴が、今にもこぼれ落ちそうで。思い出すのはあのときのこと。美鶴が死んだあのときのこと。
「いやだ」
漏れた声は風に流れて美鶴の元まで届かなかった。美鶴は首を傾げる。さらさらの髪が風に舞う。音がしそうだと亘は思った。耳を塞いでしまいたかった。こないで美鶴。こないで。ミツル。
「どうした?」
ぼくより先に死ぬならこないで。もうあんなのは嫌なんだ。
美鶴は何も覚えてない。
亘だけが抱えこんでる。
「馬鹿。これは血じゃない」
「へ?」
しかし美鶴は知っていたので。亘の苦手は自分が怪我することだと。
こんなことがあるたびほっとけないなと思うのだ。