第8話

12月24日 (宵)




「この子供が、噂に聞く ”うちは” の生き残りか」

 意識のない少年を見下ろして、男が言った。
 少年 ―――― サスケを見下ろす目は三つあった。
 三人の風貌は様々だったが、みな一様に忍であった。ただし、額に刻まれた印は木の葉のものではない。

「まだほんの下忍ではないか。覚醒もしていない」
「だが才能はある。なんたってあの血継限界だ」
「あぁ、例の悲劇の一族か」
「どちらにせよ、我々には関係のないことだ。我らの任務はあのお方が目を付けられたこの贄を、あのお方に渡す事」

 彼らがいるのは、木の葉の里でも上位に位置する大名の管理する屋敷だった。
 その昔、戦の時代に造られたその屋敷はもとは砦として建てられたもので、里の国境に位置し、人里からは酷く離れて今では寄り付く者はほとんどいない。
 彼らはそこで誰かを待っていた。
 もうすぐこの里にやってくるその者に、”うちは”の少年を引き渡すのが彼らの任務なのだ。

「………なにか妙だ」

 ふと一人の男が言って、視線を巡らせる。
 その言葉に、二人の男たちも眉をしかめて気配を探った。
 微かな、術の気配。
 男たちが一様に息を呑む。
 階下で何かが起きている。
 敵襲。
 一瞬浮かんだ言葉を、否、と打ち消す。
 計画がバレたか。いや、そんなはずはない。木の葉の忍部隊に動きがあればすぐにわかる。そう仕込んである。
 けれど、男たちの思考を否定するように、階下での騒ぎは急速に肥大していく。

「くっ…配置されていた忍部隊は何をしている」

 舌打ちして、男はい苛立たしげに唇を噛み締める。

「オレが行こう。お前たちは万が一の為 ”うちは”を連れ身を隠せ」

 一人が言って、部屋を出た。残った二人が少年の身体を抱え、移動しようとした、その瞬間。
 壁を突き破って、先ほど部屋を出た仲間の身体が飛んできた。
 驚愕に目を剥いた男たちの視線の向こう、崩れた壁の奥から、一つの影が歩み寄る。

「……!! 暗部か」

 男が口にした通り、現れたのは獣の面をつけた一人の暗部だった。
 手にした抜き身の刀とその身体に染みた血が、この騒ぎが彼の所業だと知らしめる。
 暗部を見据えたまま、腰の太刀を抜いて男が動く。
 鋭く振り上げられたそれは、けれど暗部のこめかみを掠めるだけに留まった。
 床に転がって獣の面が割れる。
 現れた血のように赤い片目。
 男が息を呑む。

「貴様…っ、写輪眼の…っ!」

 言い終わる前に、胸に傷を刻まれた男の身体は事切れて、床にどさりと崩れ落ちる。

 写輪眼のカカシ。

 忍であれば、一度は耳にするその名。その実力。
 一瞬にして全ての仲間を失い、それを目の当たりにした男は思わず後ず退る。
 びりびりと肌に感じる殺気。今までも幾度となく味わった感覚だが、こんなにも恐ろしく感じたものなどない。
 まともに遣り合って敵う相手ではない。そう判断した男は、咄嗟に抱えていた子供の身体を窓の外へと放り投げた。
 サスケの身体が、窓を割って宙へと投げ出される。
 地上からの高さは優に10メートルを越える。落ちれば無事では済まない。
 カカシが外へ飛び出す。それを狙っていた男がクナイを投げる。
 サスケの身体を宙で受け止めたカカシが身を翻し、男に抜き身の刀を投げつけた。刀が男の腹を貫く。けれど同時に避け切れなかったクナイがカカシの肩を抉った。
 意識のない子供の身体を抱えたまま、肩に走った焼けるような痛みに受身を取れず、落ちたカカシの身体が雪路を転がる。
 雪を撒き散らして木にぶつかって、強かに打ちつけた背に圧迫された肺が変な音を立てて酸素を吐いた。

「っかは! は、…はぁ、っ……ス、ケ…」

 身体を強く打った衝撃に意識がぐらつく。
 出血する肩を押さえ、無理やり立ち上がり、カカシは雪に埋もれたサスケの傍へと歩み寄る。
 ぴくりとも動かず、雪の中に眠る少年。意識はまだないものの、特に目立った外傷がないことにほっと息をついて、その場に膝を着く。

「…サスケ」

 そっと、名を呼ぶ。
 抱きしめたい衝動を、拳を握り締めて留める。代わりにもう一度名を呼んだ。
 サスケの記憶を奪った日に。
 もう二度と、愛しい気持ちで触れないと、心に決めた。
 目を閉じて、込み上げてくる感情を鎮めて。
 サスケの身体を抱き起こそうと、手を伸ばした瞬間、腕をつたって血が伸びて、少年の白い肌に落ちそうになって慌てて手を引っ込める。
 痛む腕を乱暴に止血して、そこでようやく、小さな身体をそっと抱き起こした。
 とりあえずは、サスケの身を安全な場所へと移さなければ。
 意識のないサスケを抱えて、カカシは雪の山道を駆け出した。






「申し上げます!」

 火影の自室の扉を、風の勢いで走ってきた伝令係が乱暴に開けた。

「なんじゃ、騒々しい」

 火影と、さらにご意見番二人の視線を受け、伝令係が礼を取る。

「一刻前、関所ふもとの大名の屋敷で忍び同士の応戦があったと報告が上がりました。その場で発見された文書と、木の葉以外の数人の忍の死体から、どうやら上層部の一人が他国と通じていたと思われます!」
「なんと…」

 顔をしかめたご意見番に、伝令係はさらに口早に事の重大さを伝えた。

「並びに、うちはサスケの姿が昼頃から目撃されていません。消えた少年の行方を、カカシが単独で追っていたようです」

 煙管から煙を吐き出して、火影は静かに呟いた。

「おそらく、カカシは気付いておったのじゃ。里にサスケを狙った間者が忍んでいることに」

 その言葉に、ご意見番が顔をしかめる。

「ならば、気付いた時点でなぜそのように報告せん。たかが上忍一人でなど、間者の正体もわからぬというのに…」
「だからじゃ」

 煙管の火を消し、火影は立ち上がる。

「誰が敵かもわからぬ状況だからこそ、カカシは一人でサスケを守ると決めたんじゃ。わしらを欺いてでも、な」

 窓の外の闇を見据えて、火影は暗部収集の命を下す。
 何者かが、木の葉の平和を揺るがそうとしている。
 姿の見えない黒い影に、三代目火影は胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。






 薄く開けられた目に、濁った空が映る。

「う…」

 身を起こした瞬間、関節に走った痛みにサスケは小さく呻いた。
 すぐそばに誰かが立っている気配を感じて、サスケが顔を上げる。

「ああ、起きた?」
「…アンタ、あの時の…?」

 聞き覚えのある男の声に、サスケが言いかけて、その動きを止めた。
 銀色の髪。傷の走った左目。口元を隠すマスク。
 初めて見たはずの男の顔に、なぜか胸が締め付けられるほどの痛みを覚えた。
 誰だ?
 知らない。
 知らない?
 わからない。


 本当に?


 見覚えのないはずの男の顔に、サスケは何かを必死に考える。
 頭がぐらぐらする…。
 襲ってきた頭痛に、サスケの身体がぐらりと揺れた。
 再び地に崩れそうになったサスケの身体を、男が支えた。
 その肌に触れて、サスケはハッとする。
 なんだ、これ。
 男の手の、その異常な熱さに息を呑む。

「アンタ、熱が…」
「あぁ、ちょっとね」
「っ! ちょっとじゃねぇーだろっ!」

 男の手は熱い。異常なほど熱い。
 今彼がこうして立っているのが信じられないほど、酷い熱だ。
 ふと、彼の右肩に巻つけられた、白い布が目に止まる。
 不自然な形で巻きつけられたそれは、大きな赤黒い染みを作っていた。

「その傷…アンタそれ…」

 目を見開くサスケに、男が 「血は止まった。致命傷ではないから心配ない」 と言う。
 けれど、その傷がもとで熱が出ているのは明らかだ。致命傷ではないにしろ、深い傷には違いない。
 詳しい状況はわからない。けれど、かすかに覚えている。
 何者かが、自分の意識を奪い。どこかに連れ去ろうとした。
 理由は考えるまでもない。特別な血を持つことは、そいうことだと、幼い頃から言い聞かされてきた。
 そうして、おそらく目の前の男に助け出されたのだ。根拠はない。けれど、彼は敵ではないと、何かが直感した。
 状況からして、男の傷はその時に受けたものに違いない。
 男の肩の傷を見つめ、サスケは唇を噛み締めた。

「なんで…なんで、そうまでして…いくらオレが ”うちはの末裔” だからって」
「 ”うちは” じゃないよ」

 熱い手のひらが、サスケの頬に触れる。

「 ”うちは” じゃない。サスケだからだよ」

 その言葉に、びくりと身体が震えた。

「たとえお前がオレを覚えていなくても。お前がお前であるために、オレは…」

 真摯な瞳。
 真っ直ぐに見つめてくる真剣な目に、視線が外せない。
 なんだろう。
 何を言ってるのだろう。
 男が言っている意味がわからない。けれどなんだか泣きたいような感覚に目が熱くなる。
 唇が、触れ合うのではないかというほど顔が近い。そのまま口づけられるような気がして、身体が強張った。
 けれど。
 男の口元がふっと笑みの形を作って、遠ざかる。

「このまま真っ直ぐ、西を目指すんだ。そうすれば里に出られる」
「!っ。アンタはどーすんだよ!」
「追っ手の気配が確実に近づいてきてる。このまま二人で逃げてもすぐに追いつかれるよ」

 だから、お前は先に行きな。
 男の言葉のその意味に、サスケが反射的に首を振る。
 先に行って。
 でもアンタは?

「そんなこと…」

 できるはずがない。
 唇を噛み締めるサスケに、男は厳しい視線を向けた。

「忍なら、自分が今できる最善のことを考えろ。今お前にできることは、何が何でも生きて里に戻ることだ」

 サスケが言葉につまって、拳をぐっと握り締める。

「サスケ」

 動こうとしない少年に、男が早く行けの意を込めて名を呼ぶ。

「…いやだ」
「サスケ」
「いやだ!」

 今がどういう状況で、自分が何をするべきなのか。
 考えなくても、わかる。
 男の言っていることが正しい。
 けれど。
 身体全体が拒んでいる。
 イヤだと。
 彼を置いて、一人生き延びて。
 そんなのはイヤだと。
 そんなのはダメだと。
 忍だというのに。
 下忍だとはいえ、もう自分は忍だ。こういう状況のシュミレーションだって何度もやってきた。
 生き延びる。
 そうだ。生きて、為すべき事がある。自分は生きなければならない。
 でもダメだ。
 なにがだろう。
 ダメだ。
 なにがダメなんだろう。
 わからない。
 わからない。
 わからない。
 けれどダメだ。それはわかる。

「サスケ」
「イヤだ!!!」

 叫んだ瞬間。
 言葉を奪うように、唇を塞がれた。
 一瞬なにが起こったのか理解できなかった。強引な深い口づけに、サスケは思わず目を閉じる。
 口内に入ってきた熱い吐息と舌に、息苦しさと眩暈がサスケを襲う。
 熱くて、苦しくて。
 けれどこの行為が嫌だとは、一寸たりとも思わなかった。
 熱の余韻を残して、唇が離れる。

「……ぁ…」

 肩で息をするサスケに、ニコリと笑って、男が言う。

「約束したんだ。死んでも守るって」

 ドクン、と。サスケの鼓動が跳ね上がった。


 ―――― 死んでも。
 ―――― 守ってやる。


「決めたんだ。たとえお前がオレを覚えていなくても。お前がお前であるために、オレは全身全霊をかけてお前を守るって。だから、サスケ」

 生きてね。
 笑って、男は姿を消した。
 白い大地に、サスケがガクリと膝を着く。



 ―――― サスケ。
 ―――― 安心しろ。
 ―――― オレが死んでも守ってやる。
 ―――― サスケ。
 ―――― サスケ。





 ―――― 好きだよ。




 ガッ、と地に拳を叩き付けて、サスケの身体が震えた。

「……………………っカシ……」

 白い息と共に静寂の中に吐き出された名は。
 少年の記憶の奥深くに、隠されていたもの。






「潜伏していた忍び部隊がカカシ上忍に殺られたそうです。サスケ君も取り返されました。備えていた暗殺部隊が今彼を追っています」

 里のはずれにある宿屋の二階。眼鏡をかけた青年が、淡々と言う。
 彼の視線の先。
 窓の影から月を眺める、一人の男がいた。

「フン、それほど期待をしていたわけじゃあないけれどね。もう少し使えると思ったのだけれど」
「サスケ君を助けだそうとしてカカシ上忍は深手を負ったようですよ。どうします?僕が出れば始末できますが」

 その言葉に、男がようやく顔を向けた。
 蛇に似た瞳が、青年を捕らえる。

「そうね。けれど火影が動き出した以上、万が一にもお前の正体がバレるようなことになると困るのよ。うちはの少年は、次の機会にでもじっくり観察させてもらうわ。それよりも、お前は使えなくなった駒を始末して来てちょうだい」

 男の言葉を受けて、青年の姿は消えた。
 幕は、まだ開いてはいない。
 後にくるであろうその時を思い、男の唇が精悦な笑みを刻んだ。



 数刻後。
 里の外れの桟橋で、木の葉の上層部の一人が、何者かに暗殺され、死体で発見された。
 雪は、まだ止まない。

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クライマックスまで、あと少し。

( 2003/02/07 )
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