気付いたとき、私の全ては『無』だった――― それがどんなに残酷なものかを知ったとき…私はここから出ていくことを決意した…

それでも、今もまだ、私は『修羅』に繋がれたままでいる……






ラタチニ、ガレル






「今日は皆さんに転校生を紹介します!」
「え?転校生?」
今日の魔立邪悪学園の一日の始まりは、唐突な先生の言葉の通り、いつもとちょっと違っていた。
何人かの生屠が素っ頓狂な声をあげたのも仕方のないことだった。何故ならば今は初夏、しかも月の半ばといったところ。年中温暖な気候に包まれていて、これといった季節感を感じず過ごしているこの学園の皆でさえも、この時期の転校生というのがとてもイレギュラーなことはハッキリと理解できる。
「随分と半端な時期に来るんだな…」
レヴィンがポツリと素直な感想をもらすと、先生はぐるん!と彼に振り向きながら言う。
「ええ、そうですね。ですが、こういう中途半端な時期に来て、先生方の手続きを面倒臭くさせるところ!実に悪魔らしいです!!」
「“生屠達に馴染みにくくて”大変ってことじゃなくてかよ」
転校生本人の心配より、自分の手間が増えたことを嘆く先生はやっぱり魔立邪悪学園の先生らしい思考である。
レヴィンの呟きを都合よく無視した先生は、引き戸の入り口の方に手を仰ぐ。
「では、入ってきてください!自己紹介をどうぞ。リチェルカーレさん!」
名を呼ばれた転校生は、ガララッと戸を開けて入ってくる。
一体どんな子がくるんだろう、と期待に胸を膨らませる生屠たち。
しかし、その予想よりもずいぶんと、凶室に入ってきたシルエットはとても小柄であった。
衣服から、その少女は盗賊であるらしい。まだ幼い可愛らしい面構えをしているが、感情が感じ取れない瞳に、口をへの字に曲げて。同じ盗賊といえどもクロエとは大分タイプが違うようで、キュートな衣装には似つかわぬ無表情をしている。
そして、不思議なことに武器を全く身に着けていない。
かといって隙があるわけでもなく、むしろ誰も近づけぬと言わんばかりオーラを纏い、リチェルカーレは教卓の横にまで歩いてくるとそのまま無言になった。
「………」
「もしもし?リチェルさん?」
沈黙、もとい、この気まずい空気に焦りを見せた先生が、自己紹介を早くしなさいと小声で言う。
しかし、リチェルはいかにも面倒臭そうに溜息を吐くと、



「………あなたたちに紹介することなどない。以上。」



それだけ冷たく言い放って、勝手に自分の席と判断した空席へ、問答無用で向かっていった。
「うっおおお〜…。なかなか、可愛いツラして初っ端からドギツイ挨拶してくれるねえ」
「………。」
レヴィンは、驚きのあまり机に上半身を乗り上げて、あんぐりと口を開けた。
白銀は座席についたリチェルの背中を見つめ、目を細めて気難しい顔をした。






その後、リチェルの残した嫌な空気の後始末に先生は疲弊していた。ところが結局「せ、先生をこんなに大変な目に遭わせるなんて。リチェルさんは転校早々ほんとうに優等生です!!」と絶賛したのだが。兎に角、そのあたりは生屠たちはあまり言及したくはなかった。
HRの終了を告げるチャイムが鳴り、先生が凶室を出ていくと、生屠たちはガタタッ!!と一斉に立ち上がって転校生リチェルの座席へと急いだ。
「こんにちはリチェルカーレさん!」
「どこから来たの〜?ねえねえ、名前長いからリチェルって呼んでいい?――って、あれ?どこいっちゃったの?」
刀祢、クロエ、リリィ、アイリス、サラといった女子メンバーたちが早速リチェルと友達になりたいと勇んで行ったのだが、それよりも早く、忽然とリチェルは姿を消していた。
彼女たちが困惑しながら周囲を見渡すと、もう既にリチェルは廊下どころか中庭の方にまで行っていた。どうすればこの僅かな時間であそこまで移動できるのか謎である。
「ああ〜ん逃げられちゃったぁ!せっかくサラちゃんが恋バナ友達になろうとしたのにぃ!」
「それは正直誰でもイヤだと思うわ。」
「アイリスったらぁ冷たぁい!!」
悲嘆に暮れるサラには悪いが、アイリスの言うとおり、恋バナ=愛しのイセラ(勝手に)とのノロケ話を延々と聞かされる、のは出来るならば誰しもが避けたいコースである。
中庭のスタスタと歩くリチェルを見下ろして、レヴィンは口元をひくつかせて苦笑した。
「しょ、初日早々っから授業抜け出してサボリかよ。俺の遥か上をいく優等生さんだなこりゃ」
「レヴィン…何を言ってるんだ」
「あ、いや、悪ィ悪ィ。だーいじょうぶだって、俺ぁ、お前がいるうちは退屈しねぇからな。サボることはねーって。」
生真面目な白銀に訝しげな目で見られ、レヴィンはからからと笑って誤魔化す。
「……ところで、あの転校生、かなりの“訳有り”のようだな」
「あァ?わけあり?」
「……かなりの猛者とみた。恐らくこのクラスで頂点を争うほどの」
唐突に何を言うかと思えば、白銀から信じられない言葉が出てきたので、レヴィンは「はぁ?!」と声をあげた。
「嘘つけ!そりゃ、確かに性格はかなりの強者っぽかったけどさ、武器だって持ってなかったし…!」
「常人にはただの無愛想に見えるかもしれんが。彼女には力あるもの独特の空気感が漂っていた。あれほど“わざと”殺気を完全に打ち消せる者はそうそういない」
白銀にそう説明されるが、レヴィンはいまいちピンとこない。
「ははぁ……俺は全然分からなかったけどな。そんなに強いのか?」
「もしあいまみえることになったとすれば、俺は負けるだろう」
「はぁ?!…っおい、どんだけ強いんだよ、あの転校生!」
レヴィンは、自分のダチ兼ライバルである白銀がクラスで一番強いと自負していたので――実際、ここのところ毎朝二人で手合せをしていて強くなっているつもりだが、それでも白銀から一本も取れた試しはない――白銀の『俺は負けるだろう』という明白な敗北宣言がなんだか複雑だった。
「一番分からないのは、何故あれほどの力を秘めていながら、武器を持っていないかということだが…」
「やあ。ふたりとも、面白そうな話をしているね」
「?」
突然頭上から声が降ってきて、二人は顔をあげる。
そこにいたのは、刀祢や白銀と同じく、侍の風貌をした青年であった。
「お前は……っと、確か、(ひいらぎ)?」
「覚えていてくれたのかい?嬉しいね」
柊と呼ばれた青年は、真っ赤なメッシュの混じった赤茶色の髪を、首を傾けて揺らしながら微笑んだ。
「っあ、ああ、いや、まあ」
入学時から同じクラスの一員としてやってきたが、実は二人は柊とまともに話すのはこれが初めてだ。
彼はどちらかというと、特定の誰かと仲良くするよりも、実に様々な人と広く話す。クラスはもちろん、男女、種族なども一切関係なく。
それに加えて、彼は非常に端正しぎる顔とルックスをしている。甘いボイスに気さくに声をかけられて嬉しくない人などいるはずもなく、他のクラスでは彼のファンクラブなども出来ているほどだ。いわば、クラスメイトと言うより、学園のアイドルという意識の方が強かった。
そんな存在の美青年に、こんな風に微笑まれてしまうと、レヴィンは思わずキョドッてしまう。
柊は、再度にっこりと微笑むと、首を反対の方向へ傾げながら話を続ける。
「で、今ふたりがしていた話が気になるんだけど。良かったら聞かせてくれないかい?」
「ああ、俺達、今あの転校生のこと話して――」
紅色の、まるで高純度のルビーのような瞳に尋ねられて、レヴィンが素直に話し始めたそのとき。
「――あの転校生の自己紹介は凄かったな、と話していたまでだ。不良の鏡と称されるラズベリル殿の人気が高まっている今、あそこまで優等生らしい発言をする者はなかなかいないのでな」
白銀がレヴィンと柊の間に割って入り、一息にそう言った。
「あ……そう。分かったよ、有難う。邪魔したね。」
柊は数回目を瞬かせると、白銀の意図を察したのか、あっけなく引き下がり会釈をして凶室を出て行った。
それを確認してから、レヴィンはジトーッと白銀を睨む。
「おいおい、何で嘘つくんだよ白銀。別にあれぐらいはぐらかすことねェだろ。」
「レヴィン。お前はもう少し相手の気というのを読むようにしろ」
「意識してみれば遠くからでもわかるだろう。彼もまた恐らく、転校生リチェルカーレと同じく力を秘めている」
レヴィンが窓から下を見てみると、柊は既に中庭まで下りて行っていた。その間にも色々な人に声をかけられては手を振り返しているのが見える。目をハートマークにしているミーハーなファンの子たちが、キャーッと声をあげている。
そんな中で、白銀に言われた通り、柊の纏う空気を見据えてみれば、確かにそれは常人のそれとははるかに違っていた。気さくな表情の裏に潜む、圧倒的な“何か”を感じる。
ぶるる、と堪らずレヴィンは体を震わせた。
「分かっただろう?」
「ああ…マジですげかった。なんで気付かなかったんだか…」
「直感的に話すのを止めたのが得策かは分からないが…警戒するに超したことはない」
「…白銀。お前が気付いたのは入学してすぐか?」
「いや。ここ最近のことだ。長らくあの気安い微笑みに隠されていた。だからこそ転校生より彼の方がよほど得体が知れない」
「……で。その柊が、なーんでまた俺達に転校生のことを聞いてきたんだか」
「さあな…それは図りかねるが…」
白銀は、チラリ、と目線を変える。転校生と友達になれなかったと嘆く、愛しき少女のもとへと。
「……俺達も早く強くならねばな」
一心にクロエを見つめながら、白銀はそう呟く。
「なんだ。やっぱお前も悔しいんじゃねーか」
「当たり前だ。上には上がいると分かっていてもな。だからこそその高みを目指さずにはいられない」
「そうだな。俺たちも頑張ろうぜ、白銀。」
レヴィンは、未だクロエから目を逸らさない白銀を見て柔らかく微笑むと、それから再び外へと視線を向ける。
この魔立邪悪学園では非常に珍しい、初夏らしい晴れ晴れとした青空が雲間から覗いている。久し振りの眩しい太陽の光を感じて、レヴィンは目頭へと手を仰いだ。






リチェルは、あれから中庭を超えて、人気のない校舎裏へ歩を進めていた。
さんさんと照りつける日差しから、少しじめっとするがやけに今日は涼しく感じてしまう日陰へと入り込む。
半径100メートルほどの気配を目を閉じて感知し、それがないことを確認してから、リチェルは息をつきながらその場に座り込んだ。
膝を抱えて、目の前に茂る草木をぼうっと見つめて。それでようやくリチェルは緊張を解くことができた。
「ここは平和…あそことは大違い」
『あそこ』……リチェルの出身地。その名を『修羅の国』。
リチェルは、修羅の国を捨てて、ここへやってきた。
魔立邪悪学園の悪名高さを噂で聞いていていたから、どんなにか粗暴な生屠たちで溢れ返っているかと思ったのだが、リチェルの予想を反してクラスメイトはフレンドリーで。ここでもまた戦うことにはならずに済みそうだったが、逆に過去を詮索されてしまう危険があった。その為こうしてサボって回避ことにした。
先ほど抜け出す前に、友達になろうと寄って来たクラスメイトたちの顔が、微かに浮かぶ。
「……友達…仲間なんて…信じられない」
皮肉げにリチェルは呟き、目を細める。瞼の裏に、まだ鮮明に修羅にいた頃の風景が焼き付いている。
次々と襲いかかる敵。否応なしに向けられる殺意。それをまた容赦なく捻り潰していく自分。
ただ生きるため。強さだけが全てである修羅の世界で生きるためには、仕方のないことだと、自分がここで強くなるためには避けられぬものだとずっと信じていた。
やがて、修羅と呼ばれる悪魔たちに畏怖されるほどの強さを手に入れたとき。真っ赤な返り血に染まって、死体の山々の上に君臨して見た風景は、あまりにも色褪せていた。
圧倒的な力を得た代償。自分の犯した残虐非道な行為を振り返って初めて、リチェルは自分自身が恐ろしくて堪らなくなった。
そして自分は武器を捨て、修羅を抜けた……
今ではもう、なぜ自分が強くなろうとしたかも思い出せない……
心を忘れた空っぽな体に残るのは力だけ……忘れようとしても忘れられない血に塗れる感触が、今でもこの手から離れていってくれない……
「―――やぁ、転校生。ここにいたのかい」
「っ?!」
突然の声とともに、どっと押し寄せる強い気配を感じた。
リチェルが驚いて飛び退くと、そこにいたのは、さきほどクラスにいた侍の青年だった。
「そんなに驚かなくても良くないかい。俺は(ひいらぎ)。一応アンタのクラスメイトなんだけど……知らないよね?」
「……名前は覚える気がない。でも知ってる。あなた、さっき教室で私のことをやけに見てたから」
「あ、気づいてたんだ。流石だね」
嬉しそうに柊は微笑む。リチェルは尚も警戒の姿勢を崩さずに、じり、と間合いを一定に保つ。
「それでさぁ。実は俺、アンタにちょっと運命感じたっていうか―――」
「用がないならさっさと消えて」
「酷いな。ナンパも許さないわけ?」
くつくつと笑う柊の態度に、リチェルは段々と苛立ちを覚えてくる。
「ふざけないで。私は分かる、あなたも相当の力を隠している。私はもう戦いたくない、一刻も早くここから消えて!」
リチェルの語彙が強くなる。自分がひとたび力を震えばあなたもただではすまない、と暗に圧力をかけつつも、その裏では本当に戦いたくないという気持ちがあった。リチェルはもう、これ以上修羅での自分の所業を思い出したくも積み重ねたくもなかった。
「あぁ、安心して。別に戦おうと思って来たわけじゃない。ただ俺は本当にアンタに興味があるだけだから」
「……信じない」
「そう、残念」
リチェルの未だに強い警戒心を孕んだ睨みに、柊は大袈裟に肩をすくめた。
「まあ、そういうところも落とし甲斐があってそそるんだけど」
「意味が分からない。消えて」
「つれないなぁ。一応、俺、この学校で割とモテるんだけど。俺が話しかけると大抵の女子は照れて可愛いんだけどね。さてはアイドルとか興味ないタイプ?」
「……」
リチェルは、いつまでも口の減らないこの男を無視することにした。場所を変えようと踵を返したところで、ズイッ、と柊が腕を出して邪魔をする。
「…しつこい」
「もうちょっと付き合ってよ。今度はアンタが興味のある話をしようか」
「…?」
顔を顰めるリチェルに、柊は遠慮なく耳元に顔を寄せて囁く。



存在理由(生きる意味)はここで見つかりそうかい?……愛しい修羅の子、リチェルカーレ」



「っ?!!」
急に核心に迫る言葉に、リチェルは驚き眼を見開いた。
「あなた…何故それを…?!」
修羅という世界のことを知る者は少ない。周囲のクラスメイトとは桁外れな波動を持つ彼なら、それを知っていてもおかしくはないが、自分が修羅の国出身であること、ましてこの学校に転校してきた理由までを完全に見抜かれているのはおかしい。
愛しき……という言葉の意味が分からないが、それは彼の憎らしいほど楽しげな表情からは読み取ることができない。
リチェルは、いつでも逃げられるからと彼の接近を許したことを後悔していた。いつの間にか自分を壁に押し付けている柊をギッと睨みつける。
「あなた何者?」
「柊って呼んでくれたら教えてあげる」
「……柊、話して」
「ああ、いいね。アンタに名前呼ばれるの好きだな。あ、因みに俺はアンタのことリチェって呼んでいい?他の人がリチェルって呼んでるからさ、俺だけの呼び方がいいなーって」
「………」
話がズレ出した柊を、リチェルは睨みつける。柊は結局勝手に了承と判断して話し出す。
「まぁ、一番の理由は目かな」
リチェルは、目?と訝しげに眉を顰める。
「修羅の奴らは皆、最凶になるための強さを追い求めている。その為には相手に容赦なんかしてられない。一歩間違えれば自分が死ぬからね。…そうやって周囲の感情を無視すれば、やがては自我をも無視されていくものさ」
戦うことしか考えられなくなる瞬間。それを自身で体験したことのあるリチェルは、唇を噛みしめながらそれを聞く。
「そうやって修羅に取り込まれていく奴らが大半だが、稀に気付く奴もいる。自分が大量虐殺をしてまで強くなった意味ってなんなんだろう?ってね」
「……ッ」
大量虐殺。耳に刺すような柊の言葉。
自分の罪を責められているような気がして、リチェルは胸をぎゅうっと掴む。
「リチェはそういう目をしてる。無くした自分を探している」
「……私…私は…」
「泣かせちゃった?」
「なっ…!泣いてない…!」
フイッ、とリチェルは目を逸らす。本当に涙など出ていない、とっくに枯れてしまっているから。
心は、本当はいま泣いているけれど。
柊は、そんなリチェルをじっと見つめ、フッと微笑む。とても妖しく。



「……生きる意味…俺が教えてあげようか?」



え、とリチェルは声をもらした。その時にはもう、柊はごく自然な動作でリチェルの顎を掴んでいて―――
柊は頭を傾けると、おもむろにリチェルに口付けた。
「っ?!!」
柊は、リチェルの唇をちゅうっと強く吸い上げて逃がさないようにする。
ずいぶんと長くそうした後、後頭部を押さえ、それから角度を変えて何度も啄むようにキスをする。繰り返される行為に濡れた口元の隙間をぬって、ついには舌をも滑り込ませた。
「…っふ、ぅんッ!」
びく、と一瞬だけ体が跳ねる。
ぬるる、と侵食してくる彼の熱は自分のそれよりも熱く、食まれていく感触にリチェルは全てを奪いとられそうだった。
「…んっ、…ふぅっ、…ン…っ」
もれる自分の声がなんのために出ているのか分からない。これが抵抗であると自分に言い聞かせなければ体が崩れ落ちそうだった。
遂に、こくん、と耐え切れずに喉が鳴る。
「…〜〜〜っ!!」
リチェルは渾身の力を振り絞り、虚空を叩き斬る。武器を捨てた素手の身であっても、それは存分な破壊力で次元を震わせた。
柊は素早く宙返りしてそれを避ける。が、次の瞬間に口の横がピピッと切れた。先ほどまでリチェルを侵食していた赤い舌でそれを舐め取る。
「あーあ…。顔には傷つけないでくれるかな。一応ファンとかいるからさ、泣かれちゃうんだよね」
「…っあなたが、あんなことをしなければ……!!」
リチェルは怒りを露にしながら、ぐいっと口元を拭った。
「せっかく教えてあげたのに」
「あれの、どこが…!!」
「分からない?じゃあ、俺のことを教えるのもおあずけ。知りたいよね、俺のこと」
「必要ない!!」
「じゃあ何も知らないまま俺に追われる?」
「………」
金輪際、彼に会うつもりなどなかったが、彼はリチェルを逃がすつもりはないようだった。
波動が巧妙に隠されているため、彼の強さは相変わらず未知数。全力で抵抗しても敵うかどうか分からない。まして、武器を持たぬ自分のが明らかに不利なのだ。自分のことをこれほど適格に推理されて、こちらは謎多き彼のことを何も知らないというのも、余計に自分が不利なことに拍車をかけている。
なぜ、修羅のことに詳しいのか?なぜ、自分と同じように桁外れの力を持ち隠しているのか?なぜ、自分にここまで関わってくるのか?ましてキスなんかしてきたのか?
リチェルはそこまで考えて、思わずさっきの行為を思い出しそうになり、絶対に彼の前で顔を赤くするまいと冷静を装う。
「知りたいって言ってくれたら、ここは一端引くんだけどな。あんまり強引に迫って嫌われても困るからね」
「……とっくに嫌いだけど」
それでも、リチェルが逃げようとはしない態度が柊にとっては十分な返事の代わりだったようで、満足気な顔で微笑んだ。
「じゃあ、はい」
「…これ…なに?」
不意に何かを掌に乗せられた。リチェルが凝視すると、それは銀色に光る鍵であった。
「俺の部屋の鍵。俺のこと知りたくなったら、いつでも来て」
「…闇討ちに使う」
「忍び込んだら襲われても文句言えないよ?俺のものになる覚悟しててね?」
「―――ッ絶対に行くことはない!!」
思いっきり言い捨てると、リチェルは踵を返して歩き出した。
今度は柊は邪魔しては来なかった。本当に、少なくとも今日はこれ以上追うつもりはないらしい。信用したくはないが、一応彼は言ったことに嘘はつかないということか。
(あの男…腹立たしい……っ)
自然と地を蹴る足に力が籠る。
こんなに誰かに振り回される日がくるとは夢にも思わなかった。この私があんな男に!
その“怒り”こそが、ずいぶんと永いこと忘れていた感情のひとつであることを、リチェルはまだ気づいていなかった。






柊は、リチェルの背中を見送ったあと、不敵に微笑みながら目を伏せた。
「ずいぶんと強くなったな、リチェ。そして魅力的になった」
おかげで我慢できずにちょっと手ェ出しちゃったよ、と小さく呟く。目的のためにはアレも一つの手段ではあったのだが、やはりかなり嫌われてしまったらしい。残念がる気持ちはあっても、反省する気持ちは微塵もないが。
「愛しい修羅の子……必ずや俺のものに。たとえどんな残酷な方法でもね」
微笑みながら、切れた口の端を舐める。まだじんわりと血の味がした。悪魔は治癒が早いというのに、この傷を治すのには少々掛かりそうだ。武器を捨てた彼女を見た時、どうなることかと思ったが、それは杞憂であったようだ。素手でも彼女は十分に強い。陰りを見せない。彼女にとってそれがどんなに非情な事実であったとしても、柊にとってはむしろ好都合だ。
「そしてその時こそが、俺の贖罪………」
ざぁ、と風が吹いて青い葉を舞い上げる。
未だ中庭には太陽が激しく照りつけているが、木陰に佇む柊は、凍りつくような空気を纏い、獣のような表情を浮かべている。



鎖を断ち切る刃物となりて、囚われの姫を逃がしたさきに。
罪と知って罪を犯し、永遠に繋がれぬ罰を受けよう。
己を突き動かすのは、ただ、歪んだこの愛と言うのもおこがましき衝動のみ。










あとがき。
侍×盗賊小説。今回は二人目の侍と盗賊である、柊とリチェルカーレのお話です。
とりあえず絵だけ描いたまま放置してしまっていたのですが、、ようやく序章だけでも形にできました。強さ、修羅の力とはこの長編の主人公でもある白銀の最も欲するものでもありますが、この二人の求める強さはまたそれとは違っています。絶妙な形で長編の一端に組み込んでいけたらと思っています。
柊はまだまだ謎が多い男ですが、これからのリチェルへの鬼畜攻めに期待していて下さいネッ☆(いらねええ)
それでは、この辺で。また次回作でお会い致しましょう。



ブラウザバックでお戻り下さい。

2style.net