白銀は、ルーからの思わぬ情報により、ついにクロエを長年苛み続けてきた魔物に巡り合う機会を得た。 そしてその魔物を召喚するために、白銀たちが準備に追われるその一方で…… カラタチノ誘惑ノ薫リ 「………」 魔立邪悪学園の宿舎の非常階段に佇む、ひとつの少女の影。 修羅出身の盗賊・リチェルカーレは、冷たい宵風に長く束ねられたその淡緑の髪をなびかせながら、ひたすらに静かな夜空を見つめていた。 時計塔の針が深夜二時を指し、ゴォーン、ゴォーン、と重い鐘の音が鳴り響く。 それを境に、行動を開始する。 ガンッ、と階段の手すりを蹴りつけ、夜の闇へ飛び込む。 宿舎のある部屋のベランダに着地すると、そのまま音もなく走り出す。段差も障害物もものともせず、やがてとある部屋のベランダに降り立った。 中に体を滑り込ませ、カーテンがたなびいているのを見る。 今は初夏、魔界の夜長はひどく蒸し暑い。この時期に窓を閉め切って寝る者などそういない。やすやすと部屋の中へ侵入し、寝台で眠っている人物を見下ろす。 ぎらり、と濁った瞳を妖しく光らせ、リチェルは思った。 ……殺さずにして、如何にひれ伏させてやろうか。 転校早々、この私を振り回してくれた忌々しき侍の青年、 (夜這いに来るな、と言われて行かない悪魔はいない……) わざわざ口に出して制止を促したということは、実はそれをされては困るという意思表示。予想通り、柊は無警戒に眠りこけている。 戦いを捨てた身で、寝込みを襲うなどという戦法を取るのは快くなかったが、自分が武器を持たないこと、彼の力が未知数なことを考えればフィフティーフィフティーだろう。 「私を舐めたことを悔いるのね……おばかさん」 リチェルは振りかぶると、次元をも脅かす手刀を、柊めがけて躊躇なく繰り出す。 まずはアバラを何本か粉砕して動きを封じてやる。そう考えた次の瞬間――― 「おばかさんはどっちかな?」 「っ?!」 胸に手刀を食い込ませようとした寸前で、ぱしん、と手首を掴まれた。 振り払おうとしても全く動かせず、ぎ、ぎ、ぎ、と腕を握り締められる音だけが響く。 「あなた……起きていたの?!」 「俺、夜型なんだよねー。だから夜這いは止めなって言ったのに。今度来るときはモーニングコールにしてくれないかな。コーヒーは角砂糖ひとつ、もちろん目覚めはキスで、ね」 柊は、二日前の転校初日に襲撃された時と同じく、流暢に喋る。 相変わらず彼の言葉は嘘か真か分からない……が、夜に強いというのはとりあえず確かな情報だったようだ。 「っや、い、痛い…っ」 容赦なく手首を握り締められ、リチェルの顔が歪む。このままでは逆に自分の腕がイカれてしまう。 「ああごめん。つい力が…っと」 「あっ?!」 柊は、力を抜くかわりに勢いよく引き込んでくる。 視界が反転し、あっという間に寝台に組み敷かれる。激しいデジャヴ。しまった、と思った時には体重を掛けられていてもう起きられない。 「は、離して……!」 「やーだ。俺、言ったよね。夜這いしに来たら襲われても文句言えないよ、って」 月光に照らされて、彼の不敵な微笑みが更に磨きがかって見える。ぞく、とリチェルの背筋に悪寒が走った。 「止めて…、私はこんなことしたくない…!」 「拒否られると燃えるんだよね、俺」 「っこの、鬼畜……!」 「それ、褒め言葉だから。ま、そんなに嫌なら納得いくようにしようか?」 柊は、とん、と顔のすぐ横に肩肘をついてくる。そのせいで余計に距離が狭まった。 「俺は俺のことを君に教える。その代わり君は俺に抱かれる」 「…っ?! ふ、ふざけないで…ここに来れば教えると言ったから私は…!」 驚きよりも怒りが激しく燃え上がり、柊をこれ以上近づけさせまいと、必死で彼の額を押し上げる。 「んー、でも、せっかく鍵あげたのに使ってないし?奇襲してきたし?これくらいリスク課されても文句言えないでしょ」 「………ッ」 「断ってもいいんだよ?」 でもその場合、アンタは相変わらず俺のことを知らないまま追われ続けることになるけど、と柊の眼がそう語っている。 呆気なく手をとられ、抵抗の途も遮られて。ぎ、ぎ、とリチェルは歯を食いしばった。 自分は今、とんでもなく理不尽な天秤を目の前にぶらさげられている状態に等しい。激しい怒りと口惜しさで眉を顰めていると、柊が無遠慮に首筋に顔を埋めてきた。 「はやく決めてくれないかな。俺、さっきからずっと反応してるんだけど……」 「…や……っ」 前に自分を貪った熱い舌が、首筋を下から上へと舐めあげていく。ぞくぞくと体中に悪寒が走り、意識をかき乱される。 柊は本当に欲情しているのか、圧し掛かっている体が自分よりもずっと熱い。顔は余裕しゃくしゃくの癖に……このロリコン変態野郎。 だが、怒りがこみ上げる一方で、リチェルは唐突に、冷酷に、自分のプライドを削り落とした。 (……所詮は、あなたも修羅にごまんといる欲に塗れたケダモノたちと同じね…) すぅ、と全身の力を抜く。抵抗がなくなったことに気付いた柊は、とても驚いた顔でこちらを見上げてくる。 「リチェ?」 「あなたの好きにすればいい。抱かれればすべて教えてくれるのでしょう」 「そりゃ、まあ。……でもそれ本気で言ってる?」 「でなきゃ言わない」 間髪入れず答えると、流石に柊も意図を汲んだ。 柊としてはそれこそ弄びながら行為に及びたかったらしく、この無抵抗っぷりが少々不満なようだったが……やがて再びリチェルの首筋に顔を埋める。 「据え膳食わぬは男の恥……ってね。あとで嫌だって言っても止められないよ?」 「しない」 きっぱりと言い放ってやって、目を閉じる。 そう、と短く柊が言ったのが耳の遠いところで聞こえた。だが、もうそんなものは意識の中に入ってこない。 (何も知らない私が柊に抗うのには限界がある。なら体を贄にするのも手段の一つ…) 唇を塞がれ、口腔内に舌を突き入れられ絡め取られる。それをも従順に応じる。 柊はリチェルの体に口付けを落としながら、少しずつ下へと移動する。彼の暖かい手のひらと唇が体を這うたび、絶対に声だけはあげまいと乾いた呼吸を繰り返す。 (…平気。修羅にいたときも、こういうことは何度かあったじゃない……) 心の芯さえ折れなければ、例えどうなろうと抗い続けられると自らに言い聞かせて。 噎せ返りそうなほどの花の香りに包まれながら、そして私は――――― 混濁する意識の中から目覚めると、そこは見慣れない天井だった。 まどろむ目をこすりながら、リチェルは部屋の中を見渡す。整いながらも生活感のあるアジアンテイストの部屋。家具や調度品のひとつひとつに、部屋主のこだわりが見て取れる。 まだ引っ越しの終わっていない、殺風景な、ダンボールが積み上げられているだけの自分の部屋とは大違いだった。見ているだけで寛げそうなこの部屋を、しばらくぽかんと口を開けたまま見ていたが、ふいに時計の針に目がいく。 「―――っ!」 次の瞬間、飛び跳ねるように起き上がる。今は朝10時といったところ。今日は平日、完全に学校に遅刻した。……いや、重要なのはそういうことではない。 「私、柊と…?」 昨日の記憶が確かならば、彼と行為に及んだ、はずなのだが。 それにしては妙に感じる違和感。体の調子もいつも通りだし、そして何よりの疑問点は。 「………服、着てる」 そう、上着と手袋と靴以外はしっかり着用していた。 よく見ると、脱がされたものは枕元に丁寧に折り畳まれて置いてあった。もちろん畳んだのはリチェルではない。行為に及んだ割にこれは着すぎだ。訳が分からず混乱していると、不意に、奥の曇りガラスのドアが開いた。 そこから、暖かそうな湯気を纏って柊が出てきた。……上半身、裸で。 「リチェ、起きたの?」 「ひやあああっ?!!」 悲鳴じみた声を出し、大きく後ずさる。 別に男の裸なんか見てもどうもしない……はずだったが、流石に自らをアイドルと自負するだけに、柊の体はキレイに締まっていた。直視できずに布団に潜り込む。 「ちょっと、あんまり可愛い声出さないでくれないかな。ほら、顔出して」 「や、やめて、やめて」 布団を外そうとする彼の手を拒み、ふるふると首を振る。 「つれないなあ。昨晩はあんなに熱かったのに」 「?!」 「ごめん、嘘。俺はリチェのこと抱いてないよ。アンタが寝ちゃったからさ、あれのせいで」 あれ、とは何なのかが気になり、そっと布団から顔を出して、柊が指さす方を見てみる。 するとそこにはお香が置いてあった。昨日から使い続けていたらしくすっかり燃え尽きているが、残り香にすんと鼻をきかせてみれば、それは昨日自分を包んだあの芳しい花の香りだった。 「…この匂い」 「これはラベンダーのお香。魔界では入手が難しくてあんまり知られてないけどね。……睡眠作用が有難くて重宝してるんだけど、まさかアンタにあんなに効いちゃうとは」 睡眠作用。というキーワードに意識がいく。 「…眠れないの?」 「少しだけ、ね。それよりも褒めてくんない?さすがに寝込み襲うのは可哀想だと思ってさ、我慢したんだよ?」 「………」 それは、躊躇いなく寝込みを襲いに(意味は違う)きた私に対して喧嘩を売っているのだろうか。 相変わらずの彼の言動を腹立たしく思うと同時に、リチェルは、柊は自分を抱かなかったことに驚いていた。 下劣な修羅の男たちとは違うのかもしれない。そんな彼の優しさを初めて見た気がして、そっと観察してみる。彼の整った顔立ちが、お風呂上がりでしっとりと濡れた髪でいつもより色気が倍増している。別にそういうのに興味なんかなく、あるとすれば整い過ぎてて苛々する、ぐらいのはずだったが……少しだけ、胸がきゅんとした。 「柊……」 「全く、女の子が目の前にいるのに襲えないって超しんどいね。後で一人で処理することの虚しいこと虚しいこと…」 ……前言撤回。やっぱりこいつもただのスケベだ。 リチェルは呆れ返り、柊を蔑みの目で睨みつける。 「やだなあ。そんなに見つめないでよ、照れちゃうからさ」 「早く服着て、変態」 「うわ、ひどっ。男の裸見てちょっとはドキドキしない?」 「…どうでもよくなった」 「ちぇ、残念」 柊はわざとらしく息をつくと、ランプの傍に置いてあったミネラルウォーターを手に取って飲んだ。 それから、どっかりと隣に座り込み、やけに真剣な顔で見据えてくる。 「…なに?」 「リチェルはいつもああなの?」 「何が」 「誰にでも求められたらセックスするわけ?ってこと」 「っ!!」 あんまりにもストレートに言われ、リチェルは息を詰まらせる。それでも構わず、どうなの?と聞いてくるので、話すのにひどく躊躇いながらも、答えざるを得なくなる。 「……修羅で女が生き抜くためには、時には体を犠牲にすることも必要。仕方のないこと」 「………」 あくまで平静を装い、淡々と言う。柊が珍しいことにすぐに言葉を返してこなかった。こちらを見つめたまま、何かを考え込んでいるよう。 流石にこの話には引いたのだろうか。今更誰に蔑まれたって構いやしないが、柊に避難されるのは避けたかった。彼が他人を責める時の目の容赦の無さ。それをリチェルは前に向けられて知っていたから。 「リチェ。アンタの体奪った奴ら、顔覚えてる?」 「え?」 やっと喋ったかと思えば、柊はよく分からないことを聞いてくる。 困惑するが、柊は構わず、ずずいと接近しながら問い詰めてくる。 「特徴とか職業だけでもいいから教えてほしいんだけど」 「し、修羅でどれだけ闘ってきたと思ってるの……逐一覚えてない。その後は大抵仕留めたけど…逃げられたのもいたような……」 「そういうのはちゃんと覚えてないと駄目だろ?!」 柊の突然の努号に驚き、びくんと体を震わせる。 一方的に尋問のごとく聞いておいて、なぜ怒られなければならないのか。わけも分からないまま、ただその凄まじい、修羅で体感してきたものをはるかに凌駕する殺気に体を硬直させる。彼がこんな明確に怒りを見せたのは初めてのことだった。 「リチェにそんなことした奴ら…許さない。俺が必ず全員殺してやる」 「……っ」 驚き、目を見開く。 柊は、自分のためなら誰かの命を奪えるというのか。 業を背負う重さを、彼が知らないはずはない。リチェル自身、それに耐えかねたからこそ修羅を出たというのに。 転校してきたばかりで義理もない自分のために、彼が何故そこまでするのか。柊はその問いを視線だけで感じ取り、先ほどの剣幕とは比べものにならないくらい優しい目でリチェルを見つめた。 「……俺はあんたのこと、ずっと前から見てたから」 「え……」 どういう意味だろう。意味深な言葉に隠された真意を探ろうとして、頭の中に様々な思考が交錯する。 考えることに夢中になっていると、柊がそっと頬に触れてくる。彼がこうして触れてくる時は、いつだって自分を翻弄するのを楽しんで笑っていた。だが、今の柊の瞳は何故か限りなく優しい。 (あなたは一体何者なの? ……私のことを、知っているの?) リチェルが、意を決してそう問いかけようとすると――― ピンポーン。 突然、玄関のチャイムが鳴った。緊張していた空気が一瞬で緩まされる。なんというお約束展開。 「……いいところだったのに。ちょっと待ってて」 「………」 柊はものすごく不愉快そうな顔をして立ち上がる。 玄関に向かう柊の背中を目で追う。…そこでふと、あることに気付いた。 「あなたその格好で出るつもり?!」 「あ、そうだった」 柊はまだお風呂上がりで、上半身裸のままだった。さっさと服を着ればいいのに。リチェルは慌てて近くに畳んで置いてあった柊の着物を投げつけた。 柊はそれを器用にキャッチすると、軽く羽織るだけして再び玄関へと急いだ。 ……あれだと着物を着た意味はほとんどないと思う。訪問者はさぞかし柊の格好に驚くに違いない。 ぽつん、と一人部屋に放置されている間、リチェルは考える。 先程の柊の『ずっと前から見てた』という言葉の意味を。 (修羅にいた頃から、ということ……? なら、もしかして柊も……) そうこうしていると、柊が帰ってきた。 「お待たせ子猫ちゃん、いい子にしてた?」 「柊、さっきの話だけど」 「…ストレートだね。ちょっとくらい冗談にノるくらいの余裕をさあ」 柊の言い分を無視し、リチェルは言葉強めに言い放つ。 「あなたも、修羅の国の住人なのね?」 そう。これならば、彼の底知れぬ強さ、リチェルが修羅出身であると言い当てた理由も説明がつく。彼もまたそこにいたのならば詳しくて当然だ。 「柊、答えなさい。早く」 「あ〜〜〜〜……、まぁ、間違っちゃいないんだけど…ちょっと違うっていうか」 「ならあなたの正体は何?!」 がし、と羽織っているだけの着物に掴みかかりながら問い質した。柊は何か考え込むように首を傾かせ、少しして右へ、今度は左へ。そうして交互に傾けるたびに、髪の少し跳ねた部分が小気味よく動く。しばらく睨み続けていると、柊はようやく観念したのか、わざとらしく肩をすくめる。 「…あーあ。もうちょっと遊びたかったんだけど、仕方ないか」 「………」 「………俺さぁ、アイテム神2の生まれ変わりなんだよね」 随分とあっさりした調子で、柊はそう言った。 リチェルは愕然とし、手を放す。 「……嘘。信じ……られない」 「ほんとだって」 「……あなたが、アイテム神2…」 名前こそ安直だが、その存在が修羅でどんなに凄いものか、リチェルはよく知っている。 修羅アイテム界、その中でも最強レベル40クラスともなると、修羅でも特に優れる猛者たちが階層ごとに縦横無尽に蔓延っている。そこでは職業も武器も魔法も何であろうが関係なく、ただ各々の真の実力こそがすべて。言うなれば、まさに混沌。 その最下層に住み、修羅たちを統べる者。それこそがアイテム神2。 柊がその生まれ変わりだというのならば、異常に強いのは当然で……というか、いち修羅の民の自分が敵うわけがない。なりに強い方だったと思うがまず次元が違う。すっかり体から気力をなくしていると、柊がそれを見て苦笑する。 「元だよ、元。そんなビビるもんじゃない。今の俺は転生してあくまでフツーの侍。能力的にはリチェと大して変わらない」 軽く言うが、本当にそうなのか疑いたくなる。こっちはこの短期間で散々振り回されたのだ。 「でさぁ、アイテム界を統べる者って言ったらいい響きだけど、正直、最下層で挑戦者待ってるのって超ヒマなんだよね。見かけゴッツいしモテないし楽しくないよ。今の姿のが気に入ってる。モテモテの学校生活って楽しいね」 「………」 修羅たちは勿論、まだ修羅に辿り着けぬ者たちにもある種の伝説として語られている奴が、まさかこんなこと考えていたとは誰も思わないだろう。驚きを通り越して呆れ返る。 「で、ヒマだからよく世界を見渡してたわけ。そしたら、ある日アンタが戦ってるところ見つけてさあ」 そこで、リチェルははっとなる。 かつて戦うことしか考えられなくなっていた頃、追うまま追われるままに修羅アイテム界に身を置いたことがあった。そのアイテム界はかつて柊が統べていたのか。 「リチェが力を揮っているところ見てたよ。全部。……凄く、悲しそうだった」 急に、柊の目が優しくなり、思わず身を引く。 無慈悲に、残酷に、ただ生きるためだけにたくさんの命を散らしてきたところを全て見られていた。そう思うと、急に胸がきつく締め付けられる。 居た堪れなさで寝台から這い出ようとすると、柊が自分を捕まえるようにして抱き締めてきた。 背中から直に伝わる体温はとても熱く、抗うのを躊躇わせる。涙などとっくに枯れたはずなのに、無性に泣きたくてしょうがなくなった。震えるリチェルの耳元で、柊はそっと囁きかける。 「俺も、同じだから」 「………ひいら…ぎ…」 「だから、リチェが生きる意味を求めて修羅を抜けたとき、思ったんだ。あんたのこと見守りたい。その意味を他でもない俺が与えてやりたいってね」 え、と声をもらして振り向くと、すぐ目の前に柊の顔があって、洗いたての赤茶色の髪がほのかに香る。 優しく自分を包んで眠りに誘った、あのお香と同じ、ラベンダーの匂い。 「それから俺は修羅を出て転生し、この学校に潜伏して……あんたが来るのをずっと待ってた。ずっとずっと、俺はあんたに触れたかったよ」 心臓が、どくんと高鳴る。 歯の浮くような台詞に、錯覚してしまう。それはいつもの調子のいい口説き文句なのか、それとも、本気なのか。また、自分は翻弄され始めている。 「ひい、らぎ…、柊……」 「リチェ」 彼の正体がはるか格上の存在なのだと知ってしまった以上、こうして踊らされているのは当然で。仕方のない事態なのだけれど。 ……でも、やっぱり悔しいものは悔しいから。 「……鬼畜な上にストーカー癖もあるなんて…最低」 「ひっど」 思いっきり悪態を叩く。…これでも、十二分に考えた抵抗である。 だが、柊にとってはその反応が新鮮だったようで、クスクスと楽しそうに微笑んでいた。 「面白いね……俺にそんなこと言うのアンタだけだよ。因みにさぁ、そういうアンタは、その鬼畜でストーカー癖のある最低男に迫られてなんとも思わないわけ?」 「それは……」 また皮肉たっぷりに言い返そうとしたところで、柊が急に屈み込んだ。そして、ちゅ、と音を立てて一瞬だけ口付けられる。 「〜〜〜〜っ!!」 「これ以上は悪口言わせないってね」 リチェルは顔を真っ赤にして一歩引くと、シュバァッ!!と次元を叩き斬る勢いで手刀を繰り出し、眼前でぴたりと止めて脅しかける。 「前世アイテム神2のあなたと、現世修羅の私……どちらが強いか試してみる?」 「や、それは勘弁。暴力反対」 ひらひら、と両手を掲げながら柊は言った。ギブアップのポーズをしつつも、あくまで顔は余裕たっぷりだ。 「……こんな苛々する神様に会ったのは初めて」 「元、だけどね。ところでリチェもお風呂入る?俺の後でなんなんだけど」 「なんであなたの部屋でお風呂借りなきゃいけないの?!」 「だって、リチェ、昨日は俺のベッドで寝たから、俺と同じ匂いするし………」 「!!」 速攻で立ちあがり、バスルームへダッシュして閉じこもった。 散々手を出された挙句、この男とデキてるだなんて噂が立ったら、冗談じゃない。 あんな告白まがいのことを言われたからって、絶対に懐柔されまいと心に決める。彼を信じるのはまだ早い。……散々イロイロされて、なりゆきながら一晩泊まって、お風呂まで借りておいて言える台詞ではないかもしれないが。柊とのこの奇妙な関係性は、どう言い表わせばいいのだろう。頭を悩ませつつも、リチェルはしっかりと脱衣所の鍵をかけて服に手をかけた。 そこでもまた、あのラベンダーの香りがする。 彼の部屋は、どこもかしこも、この芳しい薫りで包まれている。 リチェルがバスルームに消えて数分が経った頃。シャワーの水音が聞こえてくるのを確認し、柊はクスッと唐突に笑みをもらした。 「リチェ、全然気付かなかったけど、俺のシャンプー使ったら結局は匂いお揃いなんだよね」 その事実は、彼女が上がってきたら言ってやろうと決める。そうしたらまた鬼畜と言われるかもしれないが。 「……さてと」 枕元のお香を、新しいものに取り換えながら、柊は不適に微笑む。 「少し予定が早まったけど大きな支障はないね。あともうひと押しってところかな……」 シュ、とマッチを擦り火を灯す。素早くそれをお香に移す。 たちまち部屋が新しい香りに包まれ、ようやく柊は落ち着いたのか寝台に身を沈めた。枕元を見上げると、お香に灯った炎が揺らめいて、柊の眼をより妖しげに反射している。 「順調過ぎて怖いくらいだ……このまま上手くいけば……俺も、もうすぐ………」 ニヤリ、と柊は不敵に微笑む。 芳しい薫りに、棘が隠れているのにも気付かぬまま…… 愛しい少女をその胸の中に誘い、謀は咲き誇りし刻へと近付く……… あとがき。 侍×盗賊小説でした。柊×リチェルカーレ第二弾。 柊の正体が半分明らかになりました。でもまだ何か企んでます……そして続きます。アイテム神が実際にこんな怠惰で鬼畜な奴だったら嫌ですよね、笑。ところで気をつけないとこの二人が裏に行きそうで困ります。柊がオスすぎる。……え?ちゃんとこの次の話は裏ですよ?(おおおい) 今回、この小説の中ではあまり触れませんでしたが、ちゃんと長編と絡んでます。多分次回でそのへん繋がると思います。 それでは、ここまで読んで頂き有難うございました。また次回作でお会い致しましょう。 ブラウザバックでお戻り下さい。 |