昂る狂気が、愛しいひとを呑み込んでいくのを感じた。
ずっと自分を苛み続ける、暗闇の殻の中に閉じ込められた私。
その向こうへ踏み出す勇気を与えてくれたのは、他でもない、あなたでした。
私の大好きな、優しい声で……
愛していると、言ってくれたね………

「…………しろ…が…ね……」

だから私は…もう…あなたを…苦しませたりしない………





NO SCHOOL DAY





「……竜神族のウロコ、血染めの滝の水、ワースラッグの鬚。うん、ちゃーんと全部揃ってるね」
午前9時。日の差し込まぬ曇天の今日。魔立邪悪学園の校庭に皆は集まっていた。
ルーは魔道書片手に材料を吟味している。その足元には、彼女を中心に広がる大きな魔方陣。どんな意味で書かれてるのかはさっぱりだが、これが例の魔物を召喚する上で重要な役割を果たすことになる。
ひとしきり見終わると、ぽてぽてと呑気に歩いて、それぞれ材料を一つずつ東西南北に置き始めた。そんな召喚者様を見つめながら、レヴィンは大きく息を吐いた。
「……いよいよだな」
「そうね。あの魔物さえ倒せば、クロエは助かるのよね?」
「白銀がそう言ってンだ。きっとそうなるさ。俺たちはその可能性に賭けるしかねェ」
アイリスと、神妙な面持ちになって話し合う。いやな緊張感が体に纏わりつき、背中に汗が滲む気持ち悪さに顔を顰める。
と、そこへフローレンスとユーリが近づいてきた。
「こら!そんな気難しい顔をしていたらいけませんわよ!そうですわ、こういう時こそニジレンジャーの歌を合唱して結束力をアップするのはいかがです?!」
「アイリスちゃん、笑って?……でないと僕、もっと怖くなって泣いちゃいそうだよぉ。ぐすん」
精一杯、元気づけようとしてくれているのだろうが……二人の言っていることがかなりズレていて。それがとてもおかしくて、思わずレヴィンとアイリスはぷっと吹き出した。
「ぶっはっはっは!ニジレンの主題歌なんてお嬢様しか知らねっての!ちっとは考えろよ!」
「な、なんということですの?!あの名曲を知らないなんて……わたくしは4番までしっかり暗記しておりますのにっ!」
「きっと、お嬢様はカラオケでもそればっかり歌うんだぜェ。あ、もしやカラオケも知らねェか?」
「失礼ですわね、それくらい知っています!……い、行ったことはありませんけれど…!」
案の定の反応に、レヴィンは大笑いする。フローレンスは顔を真っ赤にして、失礼ですわね!と怒るが、こういう民間の娯楽の話題はどうも不利らしい。
一方、アイリスはというと、ユーリの頼りなさに呆れて溜息をついた。
「全く、こんな時まで弱虫なんだから。普通ここはユーリが男らしくリードするもんじゃない?」
「ごめんね…。でも、大好きなアイリスちゃんの笑顔を見たら、頑張れる気がするから……」
「!! っちょっと、みんなの前でそーゆーコト言わないっ!!」
ユーリの『大好きな』という言葉にアイリスは過剰反応する。口では強がっているが、純真無垢な言動に翻弄されているのがバレバレだ。
そんな四人の光景を見ながら、サラはふんっと気合いを入れた。
皆、それぞれお互いを想い合い、緊張を解きほぐそうとしている時こそ、応援師たる自分がそれを援護しなければ、と思い。サラはさっそく、体をくねらせてお色気度たっぷりに踊り始める。
「みんな、頑張ろ〜〜っ!サラちゃん、全力で応援しまぁ〜〜っす♪」
「おい!お前は戦わないのかよ!」
「だってサラちゃん、暴力は苦手だも〜ん。こんなか弱い女の子に乱暴なことさせるなんて、反対、はんたぁ〜〜〜い!」
くるくるとターンしながら答えるサラに、レヴィンは、あーはいはい分かりましたよ、と呆れながら言う。が、心中ではこれが彼女なりの皆への励ましだと分かっているから、自然とその顔も綻んできた。
「レディ、安心するといい。万が一の時には、私がレディを守るから」
「あぁん、イセラさぁんっ♪サラは愛するイセラさんに守られて幸せですぅっっ♪」
「は、ははは。任せてくれ」
イセラはサラに思いっきりハグされ、肩に腕を回してそれを受け入れる。当初はこの熱烈アプローチを諌めていたイセラだが、どうやら徐々に慣れ始めているらしい。サラのゴリ押し作戦にも成果が上がってきたということだろうか。
「遅れてごめんなさい!まだ始まってないわよね?!」
そこへ、遅れて刀祢と六合がやってきた。急いで来たのか、二人とも髪や着物がやや乱れている。
「おいおい、どうしたんだよ。刀祢さんはまだしも、六合まで寝坊なんて珍しいじゃねェか?」
「も、申し訳ありません。昨晩、就寝するのが遅かったもので」
「まあ。緊張して眠れなかったのですわね?」
他意のないフローレンスの言葉に、刀祢と六合はお互いの顔を見合わせ、苦笑する。
昨日までにはなかった、二人の間に流れる何やら特別な空気感。その正体に感づいたレヴィンは、あーそういうこと、と呟いて目を逸らした。
「なんですの?あなただけ分かったような顔をして。不公平ですわ」
「いや、その、お嬢様は知らねェ方がいいと思うぜ」
「どういうことですの?!」
「や、これはマジで!おい、誰か助けてくれ!」
首根っこを掴まれ、堪らずレヴィンは救援を求める。幾ら説明を求められようが、流石に、刀祢と六合が決戦前夜に×××……なんて言えるわけがない。
皆も事情に気付き始めたはいいものの、同様に始末に困っていたところで、丁度良くルーが間に入ってきた。
「ひとまず準備オッケーだよー。そろそろウフンアハンな会話はお開きにしてねー?」
「お、おう!」
助かったぜ、ルー!!とレヴィンは胸中で強く叫んだ。
仲裁の仕方が相変わらずアレだが、この際、細かいことは気にしない。
「で、あとは悪魔の爪だけなんだけど。これは誰の担当?」
「白銀だぜ。あいつ、まだ来てねェみたいだな……」
「待たせた」
聞き慣れた声がし、皆は一斉に振り向く。
やはり白銀だった。遅刻したにも関わらず、こちらは刀祢・六合とはうって変わって、やけに冷静だ。
「白銀!おいおい、お前まで遅刻かよ!」
「すまない。準備に手間取った」
「白銀クン、悪魔の爪は?!」
「ここにある」
白銀は懐から小さな箱を取り出すと、ルーに差し出した。
さっそく箱を開け、ルーは爪を吟味する。採取して間もないのか、爪は血塗れだった。
ルーだけは平気な顔をしているが、皆はとてもそれを直視できない。ユーリ、サラは反射的に目を瞑り、アイリスはつい「うぇ、エグっ…」と口に出してしまった。
「うん、この爪には上等な魔力が宿ってるね。三枚もあるし。十分だと思うよ」
「良かった。では早速始めて欲しい」
「了解。ちょっと待っててね」
ルーは、四方の残り一箇所に爪を置くと、魔法陣の真ん中へ移動した。
そして、魔道書を片手に詠唱を始める。魔法陣が妖しく緋色に輝き、その煌きがうねり立ちながら空へ昇って行く。
地響きがし、足元がひどく揺れ出した。皆は咄嗟に、近くにいる人に掴まり合う。
「きゃ…っ」
「チッ、お嬢様、こっち来い!」
レヴィンはよろけるフローレンスの手を引っ張り、引き寄せて腕に掴まらせてやる。
「れ、レヴィン…あなた…」
「緊急事態だから仕方ねェんだかんな!おい白銀、お前も掴まれ!」
魔法陣の退避範囲ぎりぎりの所にいる白銀にも声をかける。だが、少し振り向くだけで動こうとはしない。
「俺はいい」
「何言ってるんだ!お前でも流石に危ねェぞ! …って、おい!白銀、その右手…!」
レヴィンがふと気付いた。白銀の右手に包帯が巻かれていることに。
昨日会った時にはそんなものなかった。大体、白銀ともあろう者が決戦前にそんな怪我をするはずがない。よく見ると、中指・薬指・小指の先端が血で滲んでいる。レヴィンは目を大きく見開き、まさか、と呟いた。
「お前…っ、自分の爪を材料にしたのかよ?!」
「……ふ。やはり隠せないか。心配無用だ。クロエのためならば、この程度、大したことではない」
「白銀、お前おかしいぞ?!普段の冷静なお前なら絶対にそんな……って、うぉわぁぁ?!」
ゴゴォォォ、と一層大きな地震が起こり、一斉に体勢を崩す。
その凄まじさに、校庭の大地が割れ始めた。皆はどんどん魔方陣の方へと追いやられていく。
「おい、ルー!これ大丈夫なのかよ?!」
「計算上では問題ないはずだよ!もーちょっとだから耐えてー!」
「計算上って…。いまいち信じられねー…って、うっわああぁーっ?!」
大地が更に激しく揺れる。みんな自分達の足元が裂けないよう祈るしか出来ずにいるのに、そんな中で、白銀だけは微動だにせず魔法陣の傍に立っていて。
「白銀……」
刀祢が、そんな弟を見て呟く。
その背中に、なにか得体の知れないものが帯びているように見えるのは、気のせいだろうか。


「……狡猾なる魂よ、四方向にて汝が求めし贄を祀りて命ず。……我、ルー・ルッティンネン・ル・シャプリエルの名に置いて……悪魔喰いの魔物をここに召喚す!!!」


ルーの高らかな詠唱とともに、はるか上空で真っ暗な曇が集まってくる。
そして次の瞬間、ピシャァァァ!!と雷鳴が魔法陣めがけて一直線に落ちてきた。
「うわぁぁぁぁっ!!」
「神よ……どうかわたくしたちをお救いください……っ!」
「あああアイリスちゃあああん!」
「ゆ、ユーリ、もっと強く掴まって…早くっ!」
それぞれの悲鳴が響く中、決して吹き飛ばされないよう、必死にお互いを支え合う。
魔法陣から、大きな光が発せられるのが見える。それはみるみるうちに皆を包み込み、視界を真っ白に覆っていく。
「イセラさぁん……」
「レディ、絶対に離れてはいけないよ。……来たっ…!」


ゴオォォォォオオオオッッッ!!!!


大きな爆発とともに、光は消え。再び、校庭は薄暗い曇天に包まれる。
皆、怪我はしていないものの、爆風で結構吹き飛ばされてしまった。慌てて魔法陣のところへ戻ると、そこには白銀が変わらず立っていた。あの凄まじい爆発の中でさえ、微動だにしていなかったのだ。
「白銀。あなた……」
「……くっ。くくっ…はははははっっ!!」
突然、白銀が笑い出す。
声をかけた刀祢はもちろん、レヴィンやアイリスたちも驚いてびくっとした。とても正気とは思えない笑い声。本能的に、今の彼に近づいていけないと感じ取る。
「ついに、会えたな……」
白銀は、すらりと剣を抜く。
段々と晴れていく煙の奥から、影が動き出すのを見て。ニヤリ、と不敵に微笑んだ。
「9年間…ずっとお前を憎み続けてきた……。だから俺は……、今、一番嬉しくて堪らないぞぉぉっっ!!!」
絶叫し、勢い良く駆け出す。
それとほぼ同時に煙が晴れ、中から恐ろしい巨大な魔物が出現した。
刀祢の話から聞いた通り、銃魔神族に似た風貌だが、手足・肩・胸などといった筋肉の発達した部分が歪に変形している。
無数の赤眼はおぞましく煌き、見た者を凍りつかせ。グルゥ、と魔物が鳴くのに合わせ、口からはみ出た長い舌が揺れてびたびたと涎を撒き散らす。どうやら猛烈に腹を空かせているようだ。
「……やべェな。こりゃあ…悪魔食っててもおかしくねェや」
「昔より大きくなってるわ。きっと、9年の間に更に何人も食い続けていたのね……」
「クロエみたいな犠牲者がもっといるっていうの?こいつ…ふざけんじゃないわよっ!!」
魔物は、グェハ、グェハ、と鳴いて、皆の叫びを嘲笑う。
それから、ぎろり、と此方を見てくる。
自分たちのことも食うつもりか。咄嗟にそれぞれが武器を構え、魔物を睨み返す。これ以上被害者を増やすわけにはいかない、ここで自分たちが食い止めなければ。
だが、その時、魔物が凄まじい勢いで咆哮した。空気が高速振動して襲いかかってくる。
「うおっ……」
「きゃあぁっ!何よこれっ…足が、動かないっ…!」
がくがくと膝が揺れ、足がすくんでしまう。どんなに心が抵抗しても、否応なしに『恐ろしい』という意識を体に植え付けられる。
これでは武器も魔法も役に立たない。どうしよう、と必死に考えていると、


「はぁぁぁああぁっ!!!」


白銀が、皆を縛る空気を引き裂くが如く、躊躇なく魔物の腕に斬りかかった。
斬られた箇所から先の部分が、ずる、と生々しい音を立てて傾き、ドォォンと地に落とされる。9年前は僅かな傷しか付けられなかったが、もう、白銀はあの時の非力な子供ではない。
グォォォォォ、とたちまち魔物の悲鳴が轟く。わっ、とみんなは一斉に声を上げる。
「すっげェ!!流石は白銀だぜ!!」
「その調子よ白銀クン!油断しちゃダメよ!」
声援に背中を押され、疾風の如く立ち回ってあらゆる角度から斬りつける。
じわじわダメージを与えられて魔物は興奮し、岩石のように変形した手足で地団駄を踏んだ。だが、早さで圧倒的に勝つ白銀には掠りもしない。
その間に背後を取り、牙突の構えをする。そしてクイッと手招きした。
「遅い。遅すぎる。どうやらこの9年間、お前は欲しいままに魔力を喰い漁って肥えすぎたようだな?」
挑発され、魔物は残り片方の腕で、振り向きざまにグオン!と空を掻く。
素早く反応して飛び退くが、攻撃の当たり判定が大きすぎたせいで左肩を掠めた。
「きゃああぁっ白銀くん危なぁいっっ!!」
「落ち着いてレディ。怪我はしていないようだよ」
「あ、ほ、ほんとだ。良かったぁ…」
イセラの言う通り、白銀はさして平気そうな顔で立っている。肩の装甲を1、2枚持って行かれただけで出血はしていない。
ところが、魔物は爪に引っ掛かった装甲に気付くなり、突然、それをむしゃむしゃと喰い始めた。
「な、なにしてんの、あいつ」
「アイリスちゃん、あれ食べてるよね…ううぅ怖いよぉぉ…」
「わ、私だって怖いわよ!…うぇ、エグぅ…っ」
アイリスとユーリが気持ち悪がるのもおかしくない。 どうやら、魔物は、装備品に付着した白銀の魔力の匂いに過剰反応しているようだ。その証拠に、喰い終わった途端、この場には他にも大勢いるというのに全く目移りなどせず、白銀の方へと一直線ににじり寄っていく。
「ほう、匂いで分かるか。お前を呼んだのは俺の爪だからな。……俺の血肉が欲しいんだろう?」
既に包帯が真っ赤に染まっている右手を、目の前に翳してやる。血の匂いを敏感に感じ取り、魔物はますます興奮して、勢い良く走り出した。
「だが」
白銀は、魔物の拳を華麗に避け、懐へと飛び込んだ。
「死ぬのは、お前の方だ」
刀を心臓目掛けて突き刺す。
すぐに、グプ、と肉を抉りながら抜くと、たちまち噴水のように血が噴き出した。
錆びた鉄の匂いが鼻をつき、傷口を切りつけて一端間合いを取る。魔物は激しい痛みでじたんばたんとのたうち回っている。だが、やがて多量の出血のせいで意識が朦朧としてきたのか、がっくりと首をもたげ、その場に仰向けに倒れ込んだ。
「や、やったの?!」
アイリスは、興奮のあまり、すぐ傍のユーリと抱き合いながら叫んだ。
こいつタフそうだし、また起き上がるかも……と思ってハラハラするが、杞憂だったようだ。魔物は荒い呼吸を繰り返すだけで、とても起き上がりそうにない。
ホッと胸を撫で下ろしていると、おもむろに、白銀が魔物の腹の上に乗り込んだ。
「し、白銀?!何やってんだァ?!」
「……か」
「白銀…?」
レヴィンと刀祢の呼びかけに、白銀は答えない。
何故だかやけに胸騒ぎがした。こちらからは死角でよく見えない白銀の目元に、暗い、影が、帯びて―――


「……こんなものなのか。容易い…容易すぎる。こんなにも呆気無く……終わっていいとでも思っているのかぁっ!!!」


次の瞬間、ズシャァッ!!と白銀は魔物の大腿部を突き刺した。
凄まじい力。刃のほとんどが肉の中に埋まっている。魔物は悲鳴をあげるが、既に戦闘不能なために、声に覇気がない。それでも構わず、何度も刀を抜き刺しし、無慈悲に追い討ちをかけ続ける。
「クロエの左目!クロエの両親!クロエの記憶!クロエの笑顔、声、幸福そのすべてをっ!!貴様はあの日あの一瞬で跡形もなく奪ったんだっっ!!!」
ザシュ、グジュ、ザクッ、ザシュゥッ!!
「それを贖うこともせずこのまま死なせなどしないっ!!もっとだ……もっと苦しめっっ!!貴様に9年間も苛まれたクロエの痛みを、苦しみを、貴様のこの罪深い肉体の骨の髄に叩きこむまでっ!!!簡単に死なせて堪るものかぁぁっっ!!!!」
ブシュ、グシャ、グジュウ、ザグシュウッ!!
「く、っふ、ははは……はっ……ははははははははっっっ!!!!!」
白銀が、高らかに笑う。
刃が魔物を突き刺すたび、鮮血が空に舞って、百花繚乱の如く踊る。次々に溢れ出す深紅に塗れても尚、その粛清は止まらない。
今の彼にあるのは、この魔物を苦しめて苦しめて嬲り殺してやろうという禍々しい衝動だけ。憎き敵の肉を裂く感覚に酔い、恍惚の表情を浮かべて、狂ったように笑い続ける。
「あれは……白銀クン、なの?」
「こ、怖いよアイリスちゃん…。白銀さん、あんなことする人じゃないよ。どうしちゃったの…?」
自分にも他人にも厳しいが、本当はすごく優しくて仲間思い。誰よりも修練に熱心で、剣の腕はクラスでもズバ抜けて高い。でも、実はクロエに片思い中といういじらしい一面もあって……。
そんな、皆が三ヶ月間一緒に過ごしてきた、大切な友人としての白銀の姿は、もう、どこにも感じられない。
「止めろ白銀っっ!!そいつはとっくに瀕死だ、もういいじゃねェか!!」
レヴィンは、アイリスとユーリを後ろに退かせると、鮮血が舞う中、大急ぎで白銀のもとに駆け寄ってその肩を掴む。
白銀は一瞬だけ手を止めるが……ぎろ、と凄まじい形相でレヴィンを睨みつけた。
「邪魔を、するなぁっ!!」
「しろが……うぐぅっ?!!」
容赦なく、レヴィンの鳩尾に拳を叩きこむ。
そのまま押し込み、鍛えられた戦士の体を、いとも容易く空に舞い上げる。
「うわぁぁっ!!」
校庭の上に思いっきり落下する。皆、慌てて駆け寄ってレヴィンの様子を覗き込む。
「レヴィンくん、大丈夫ぅ?!」
「っだぁ!!畜生、マジいってェ〜…!あいつ本気で打ち込みやがった!!」
「……どうやら、その口ぶりだと大丈夫のようだね」
イセラが冷静に判断する。普通、重傷者はそんな悔しそうに地をバンバン叩きません。
と、そこへ、フローレンスが血相を変えて走り寄ってきた。
「レヴィン…!お怪我は?!」
「舐めるんじゃねェよお嬢様。一応受け身取ったし、大したことね……っいてて、アバラは2〜3本イッたかもしれねェ」
「お見せなさい、早くっ!」
フローレンスは、強引に腹部を押さえている手をどかす。診てみると、下の肋骨が赤く腫れていた。恐らく軟骨のあたりがやられている。慌ててオメガヒールを唱えて治療する。
「おいおい、こんくらいでオメガヒールかよ。そんな心配することねェって。お前たちとは鍛え方が違……」
「少し黙っていなさいな!甘く見ていると後で大変なことになるかもしれませんわよっ!」
「……お嬢様?」
いつもなら、ここで売り言葉に買い言葉よろしく言い返すところなのだが……彼女の目元に涙が溜まっている気がして、レヴィンは何も言えなくなった。医療行為に関してはいつだって冷静沈着な彼女が、珍しく取り乱している。……心配してくれている、ということだろうか。
仕方なく、大人しく治療を受けながら、もう一度白銀を見据える。未だ止むことなく、蛮行を犯し続けるダチの姿を。
「…白銀っ…!!」
不意に、もう見てるだけではいられないと言わんばかりに、刀祢が皆の横を走り抜ける。弟の変貌に動揺しきりの、フラフラの体で。
慌ててレヴィンは飛び起きると、追いかけてきた六合と一緒になって彼女を引きとめる。
「止めろ刀祢さんっ!そんな状態で近づいたらやられるのがオチだっ!!」
「いやぁ放してぇっ!早く、早く白銀を止めないと…っ!!」
「刀祢さま、お願いです、落ち付いてください!」
「放してよぉぉっっ!!白銀、白銀ぇぇっ!!お願い、これ以上あなたがあなたでなくなるなんて嫌ぁああぁっっ!!」
ひたすらに、双子としての絆に一縷の望みを託して、弟のことを叫び続ける刀祢。しかし、白銀は、ただ一人の姉の声にも、もう振り返ろうとはしない。
皆は、その現実を目の前で見せつけられて、胸が締め付けられる思いだった。
「まずいね……このまま白銀くんが狂乱し続ければ、あの魔物を殺すだけでは済まないかもしれないよ」
「イセラさぁん、それ、どういうことですかぁ?」
「レディ、つまりはね……最悪、私達にも刃を向けてくるかもしれない、ってことだよ」
え、と声に出して、サラを始めとした皆が驚愕した。
そしてすぐに、イセラの予想が的中してもなんらおかしくないと言うことを察して―――皆は、背筋にすさまじい悪寒が走るのを感じた。
相手が誰であろうと容赦なく、ただ本能の赴くままに、目の前にある生命全てを殺し続ける。
修羅とも魔王神とも違う、本当の意味で、ただ殺戮のためだけに剣を振るう……。
その姿、敢えて言葉にするのならば、さながら――――


「鬼神………」


「……みたいよ、ね…」
「アイリス、止めろよ…!俺は信じねェぞ、俺は、絶対…!!」
レヴィンは、ぎりり、と唇を噛み締める。アイリスの言うように、このまま、白銀を鬼神なんて物騒なモノにならせてたまるものか。
剣を引っ掴むと、レヴィンは白銀の方に向かって歩き出す。
相撃ち覚悟で説得するつもりか。レヴィンの考えを察したみんなは、大慌てで彼を追いかけ、引き止める。五人がかりでなんとか安全圏まで引き摺り戻した。
「ダメよレヴィンくん、今行ったら殺されちゃうわっ!」
「白銀ぇぇっ!もう止めてくれよっ!俺はもう大事なヤツがいなくなるなんて嫌なんだよぉぉっっ!!」
「レヴィン、あなた……」
「頼む、白銀ぇぇっ!!!」
レヴィンは、喉を限界まで振り絞って、必死に呼ぶ。
何度も何度も、諦めずに。心の隅で、どこか遠い、追憶の彼方に思いを馳せながら。
喉の奥で血の味がしてきても、酸素が足りなくなって噎せそうになっても、ただ、ダチの白銀が戻ってきてくれることを信じて、叫び続ける。
しかし、それでも白銀が振り返ることはなく―――その時レヴィンの中で、祈りよりもはるかに強い怒りの感情が込み上げてくる。ダチの俺がここまで呼んでやってるのに、あの野郎!
こんな時でさえ、頑固者のカタブツの白銀に、前々から言ってやりたかった一言が、急速に喉の奥から浮かびあがってきた。


「白銀ぇぇぇぇっっっ!!!こんの、クロエバカ野郎ぉ――――――っっっ!!!!」


「はぁ?!」
「レヴィンくん、なぁに言ってるのぅ?」
「五月蠅ェ、言わせろっ! この、クロエ大好き屋ッ!!お節介主夫男ッ!!お前一日何回クロエクロエ言ってるんだっつーのッいっぺんカウントするぞォッ!!たまには自分の気持ちも優先しろよこのクロエバカバカバカバカバカ野郎ォ―――――ッッッ!!!!」
ここぞとばかりに、思いっきり、日頃たまりまくっていた鬱憤を晴らすが如く叫びまくってやると―――ぴたっ、と白銀の剣を振り下ろす手が一瞬だけ制止した。
「白銀……!」
微かにだが、応えてくれた。自分たちの声が聞こえてないわけじゃない、まだ俺のダチの白銀は完全に狂っちゃいないんだ、と思ってレヴィンは嬉しさのあまり涙を滲ませる。
さぁ、活路も見えてきたことだし、まだまだ溜まってる鬱憤を晴らさせて貰うがてら、しこたま殴って正気に戻させてやるよ―――と、いざ意気込んで近づいて行こうとすると………
「きゃあぁぁっ!白銀くん、うしろ、危なぁぁぁいっっ!!」
サラの叫び声が響き渡った。はっと見てみると、白銀の背後で、巨大な鉄拳が振り回されているのが目に入る。
あの魔物が、最後の力を振り絞ってやり返そうとしているのだ。あんな巨大な拳をまともに受けたら、たとえ白銀と言えどひとたまりもない。
もちろん白銀は避けようとするが、その時、ぐ、と足を何かに引っ張られた。見てみると、歪に変形した皮膚から、気味の悪い触手が生えてきて、足首に巻きついて逃げられないようにしている。
「くッ…!しまった……!!」
せめて刀で少しでも受け止めるなり、と思った時にはもう、すぐそばまで真っ黒な剛拳が迫って―――
「俺はまだ…死ぬわけ、には…―――」
「白銀―――――――っっ!!!」


パキュゥンッ


短い銃声と共に、場が静寂に包まれる。
時が止まったのではないかと感じるほどの、長い間隔の後。ずし…ん、と静かに魔物が倒れ込んだ。
白銀は、唖然として、すぐ傍に横たわる魔物の巨体を見詰めた。結局、最期の拳を当てることも敵わずに、そいつはもう事切れている。
「…え?今のなに…?」
「死んじゃった? 撃ったの、誰?」
アイリスとサラが、おろおろと周りを見渡す。校庭には砂塵が舞っているだけで、別段何も見つからない。
「……そんな…嘘だ、なんで……お前が……」
そんな中で、白銀はひとり、皆の背後に現れた小さな影に気付いて、わなわなと体を震わせた。


「クロエ……」


呼ばれた名前に、皆はえっと口に出し、慌てて後ろを振り向く。
そこには、白銀の言うとおり、銀髪の盗賊の少女が立っていた。
無垢な笑顔でもなく。闇に苛まれる苦痛の表情でもなく。今までに一度も見たことのない、逞しい、強い決意を胸に秘めた顔をして………






「………この復讐は、あたしのものだよ。白銀、今まで苦しめてごめんね……」


「クロエっ……!!!」
自分を見つめて。自分の名前を呼んで。どこか苦しげに微笑む、愛しい少女の姿を目の当たりにして。
白銀は、脇目も振らずに走り出し、クロエの元へと駆け寄った。
傍に辿り着いたその瞬間に、思いきりその体を抱き締める。前に抱き締めたのはもういつだったか。それでも、以前より、もともと華奢な体が更に痩せてしまっているのが分かる。
色々な感情が一気にこみあげてきて、体がぶるぶると震えた。クロエはそんな白銀の背中に腕を回して応えてくれる。愛しい人が確かにここにいるのだ、とようやく実感できた気がして、次々と涙が溢れてきた。
「嘘だ、嘘だ、なんで、お前が……、約束したのに、お前のために、俺が全部、終わらせる…と……」
「んーん。白銀は、そんなことしなくていいんだよ」
いったん体を放し、見つめ合う。クロエはにっこりと微笑みながら、そっと両頬の傷に触れて包み込んできた。
「クロね、全部、思い出したの。あの黒い影のこと…パパとママのこと…クロと白銀の顔の傷のこと」
「クロエ……」
「白銀のこの傷は、クロのせいだったんだね。他にもいっぱい白銀を傷つけちゃった。クロを怖がらせないために、白銀はずっと優しい嘘をついていてくれたんだね」
「違う。お前のせいじゃない。全ては、俺が、勝手に……」
「もうクロになんにも内緒にしなくていいんだよ? 白銀が思ってるより、クロはずーっと強くなってるんだから」
そうは言うが、白銀は心配せずにはいられない。クロエには、伝えていないことがあまりにも多すぎたから。本当に、あの魔物に襲われて目を奪われた経験を、両親を目の前で喰われた事実を思い出して、平気でいられるわけがない。クロエが、優しい笑顔の下でひっそりと泣いているような気がしてならない。
いつだって、自分の気持ちは我慢して、人のために笑う。それが、クロエだから。
だから彼女を少しでも傷つけたくなくて………自分が全ての原因を取り払い、彼女を苦しみから解放してやるつもりだった。
しかし、9年間にうちに昂り過ぎた憎しみが暴走し、自分では止められなくなってしまった。その結果、家族も仲間も巻き込んで。
クロエに、一番守りたかった彼女に、結局全ての罪を負わせてしまうことになってしまった……
「っ、クロエ、俺は、っぐ、っ、俺、は…っ」
彼女を守り切れなかった悔しさと、何も出来ない自分への歯痒さが入り混じって、涙が堪えられなくなる。それをクロエは、ぺろ、と猫のような仕草で舐め取った。
「泣かないで白銀…。悪いのはクロと白銀がやっつけちゃったから、クロはもう、なんにも怖くなんかないんだよ……?」
されるがままに、彼女を受け入れる。クロエの小さな唇が涙を吸ってくれるたびに、自分の体温の高さを、彼女の唇のひやりとした冷たさを感じる。冷たいのはきっと彼女がとても優しいからだ。包み込んでしまいたくなるほどにか細い少女の体温。
ふいに目を開けると、すぐ目の前でクロエが微笑んでいた。
吸い込まれそうなほどに無垢な、全てを終えた今となってはもう血が滲むこともない、ただただ美しいオッドアイの瞳……
「白銀、もう、クロのために苦しまないでね。復讐なんて怖いこと、一人でしちゃやだよ?」
「…クロエ…」
「クロはね、パパとママがいなくなっちゃったこと思い出しても、寂しくなんかなかったよ。だって、白銀がクロの家族になってやるってずっと言い続けてくれたから。白銀がいるから、クロはこうして目覚められたの。だからね……苦しいのも楽しいのも、これからはずうっとクロと一緒に、分け合ってね……?」
ようやく気付いた。クロエは、自分に復讐をしてほしいなんて望んでいなかったことに。
彼女が望んでいたのは、ただ自分が傍にいてすべての痛みを分かち合うことだったと。
冷静に考えてみれば、ごく当たり前のことだったのに……独りで突き進んできた自分は、彼女のそんな単純な気持ちにも気付けなくて……それにもっと早く気付けていたならば、自分が復讐をしなくても、クロエが復讐をしなくてもいい選択肢があったのかもしれない。
一緒に、傷を乗り越えていこうと。そんな風に言える勇気があったなら……
今とは全く違うかたちで、とっくに、幸せになれていたかもしれないのに………
「クロエ…、すまない…っ、クロエ、クロエ……」
「ねえ、白銀。クロね、学校でやりたいことがまだまだいっぱいあるの。これからは全部休まないで参加するの。もちろん、ぜーんぶ、白銀と一緒に!ね、約束だよっ!白銀っ!」
「……ああ、分かった…。クロエ…お前さえいれば…俺はそれだけで……幸せだ……」
彼女が、俺が罪を犯しかけたことを悔いることよりも、俺との未来を臨むのなら……
俺はそのために、もう一度、生きよう……
すぐには、君に、この胸いっぱいの気持ちを真っすぐに伝えられなくても……いつか、必ず……

クロエ…俺はお前を…永遠に愛している………






「白銀…クロエ……良かった……」
抱き締め合う二人を見つめながら、刀祢はようやく大きな不安から解放されたのか、その場に力なく座り込んだまま、少しだけ涙を流している。
そんな主君の傍に、六合が寄り添って、そっと手を握り締めて。二人を想う気持ちを共有し合っている。
「白銀も正気に戻ったみたいで何よりだぜ……。あー、俺、もー疲れたわ……腹減った」
ぐうぅ、とすっかり緊張感のないお腹の音を立てているレヴィンに、ぷっと皆が一斉に笑いだす。気づけばもう、お昼はとっくに過ぎていた。
「ヤー。無事に終わったみたいだね〜」
「…って、ルー?!お前今までどこ行ってたんだよっ?!」
唐突に表れた、砂埃まみれのお疲れ召喚者さまに、レヴィンは鋭くツッコミを入れる。
「いやはや、あの爆発でものすごーい遠くまで飛ばされちゃって。ちょっと気ぃ失っててさぁ。でもでも、見たところハッピーエンドな感じだね。めでたしめでたし〜?」
「ったく、緊張感のねェ奴」
それは、さっき腹の虫鳴らしてた人には言われたくない台詞です。
「まあ、よろしいのではなくて。…ほら、あの二人、とーっても幸せそうですわよ。しばらく見守っていたいですわ。よろしければ、お弁当を持ってきてここでお昼にしませんこと?」
「……ああ。お嬢様の意見に、賛成」
ようやく、いつものみんなで、心から楽しいお昼休みを過ごせるのだと思うと、嬉しくて、待ち遠しくて、堪らなくなってくる。
初夏が過ぎ、もうすぐ、夏。
まだまだ、魔立邪悪学園での日々は、これからが楽しくなってくるところなのだ。






一方、穏やかに儀式の終わりを迎えた皆の、そのはるか上で。
魔立邪悪学園の屋根の上に佇む、ふたつの怪しい人の影………
「さて……、あの馬鹿な白銀のおかげでようやく目覚められたぜ。ったく、あいつは本ッ当に体たらくだな。腹の内はヤりたい盛りのくせに、悠長に構えやがって。俺ならもっと早く、クロエを自分のモノにできるのに」
「……無駄口を叩かないで。あなたこそ、まだ目覚めたばかりで大した力もないくせに。自分の姿、鏡で見たら?」
「キツイこと言うなよ。……じゃあ、早速行くとするか。あの二人の仲良しこよしのやっすい愛とやらを、滅ッ茶苦茶に裂いてやりに、なぁ………?」
ニヤァ、と男は不敵に微笑む。
その両頬には、幾つもの紅い傷。黒い着物を身に纏った、謎深き侍の青年……
傍らに立つのは、妖精のようにか細く美しい、白肌の盗賊の少女……


悪夢はまだ、終わらない………










あとがき。
以上、侍×盗賊小説でした。これでSCHOOLシリーズ終了?!いえ、まだまだ続きますよ。
復讐編っつーか、過去の傷を乗り越える編、みたいなのはこれで終了になるのですが、白銀たちの学校生活はこれからが楽しい盛りです。
この長編はあくまで『愛』がベースなのです!(フロンちゃん風に) 復讐うんぬんかんぬんはメインじゃないのですよ。今回の話で、白銀が失いかけたもの。クロエがその身に背負ったもの。そういうことを考えながら、新しい展開へと進んでいきます。最後の謎の侍×盗賊の正体はまた後々でっ。
それでは、ここまで読んで頂き有難うございました。また次回作にてお会い致しましょう!



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