シドくんがシルフィアさんを庇って大怪我をした。おなかに槍が刺さって、血塗れになった。
真っ赤な血の海の真ん中に、人が倒れている。そんな光景を、ずっと昔にも見たことがあった。
突然、頭に激痛が走る。時々起こるそれよりも、もっとずっと強い痛みで。
それから左目の傷が疼き出し、何か古ぼけた映像が視界を覆う。そしてしきりに『思い出せ、クロエ』と呼びかけてくる。

クロエ。それは私の名前………

ずっとずっと、私の中に住みつく黒い影………
幾つものおぞましい真紅の眼が私を見つめる………
おかしいよ…私たちは幸せに暮らしてたはずなのに…どうしてこんなことになってるの……?
お願い、誰か助けて……早く助けを呼ばなきゃ……急がなきゃダメなの、だって、急がなきゃ、ああ……

恐怖で動けない私の目の前で………

その影は………

パパとママを………

食べ ちゃっ て る の ………



「あああぁぁぁぁああっっ!!いや……いやぁぁぁぁああああっっっ!!!!!」
「クロエぇぇぇぇっ!!!!」





SCHOOL IS OVER 前編





シドとシルフィアの争いが終焉を迎え、皆は凶室を封鎖すると、魔立邪悪学園の保健室へと移動した。
大怪我を負ったシドを手当するためと、突然、異常な狂乱状態に陥ってしまったクロエを落ち着かせるためである。
到着しても、尚もクロエは叫んでは暴れ続けるため、絶対安静のシドと共に保健室に入れるわけにはいかなくなった。そこで、すぐ近くにあった来客室に急遽使わせてもらうことにし、白銀・アイリス・サラ・イセラ・ユーリの五人はそこにクロエを運び込んだ。
中にあったソファーをベッド代わりにして寝かせ、アイリスたちが協力して四肢を押さえつける。白銀はその上に覆いかぶさって説得を試みる。
「あああぁぁっ!!!いやぁぁぁっっ!!いやぁ怖いのお願い来ないでぇぇえっ!!!」
「クロエ!大丈夫だ、ここにはお前に危害を加える奴はいない、あの影はいないんだ!」
頬を包み込んで必死に語りかけるも、既にクロエには白銀の声すら聞こえていないようだった。
赤色のオッドアイから、目と同じ色をした血涙が流れる。このままクロエは発狂し続けて死んでしまうのではないか。見守るしかできない四人に、そんな最悪の予感が駆け巡った。
「頼む、落ち着いてくれ、でないとお前が…っ!」
「いやぁぁっ!!お願い誰か助けてぇっ!!白銀どこぉ…っ、助けて、白銀ぇぇっ!!」
「クロエ…っ、俺は、ここにいるから…!!」
彼女が壊れていく気がして、必死にその体をかき抱く。
それでも、クロエは目の前に白銀がいることに気付かない。悔しさで、思わず涙が滲み出てきた。
「白銀クン……」
「嘘でしょぉ、クロエぇ……」
その様子を、アイリスやサラたちが神妙な面持ちで見つめる。白銀がクロエをどれほど大切にしているかは、この三ヶ月間一緒にいれば自然と理解できる。そのクロエに自分の存在を見失われるなんて。あまりにも、あまりにも残酷すぎる。
「遅くなってごめんなさい、白銀!!」
そこで、遅れて刀祢がやってきた。大急ぎで来たらしく、荒い呼吸をしながら、ズイッと小さな錠剤を白銀に差し出してくる。
「保健室の先生からもらったの。即効性の精神安定剤。これを早くクロエに!」
「姉上!…すまない…!」
素早く受け取ると、クロエの顎を掴んで開かせ、親指を口に突っ込む。
すると一層抵抗が激しくなって、指を噛まれた。じわりと血が滲んでくるが、構わずにもう片方の手で錠剤を放り込むと、今度は即座に顎を押し上げて閉じさせた。
クロエの喉が鳴るのを見計らって、ようやく、白銀は安堵して手を離す。
次第に暴れていた四肢が大人しくなり、数分後には眠りについた。もういいぞ、とアイリスたちに語りかけてやると、彼女たちも非常に疲れ果てた様子で、その場にへたりと座り込む。
「……迷惑をかけた。すまない」
「別にいいわよ。友達の一大事を助けるのは当然のことじゃない」
アイリスの言葉に、サラやイセラ、ユーリもうんうんと続いて頷く。
クロエはこの学園でいい友達を持った。それだけで幾らか心が救われる思いだった。
「それよりも、聞かせてちょうだい。クロエに一体何が起こったっていうの?」
「………」
様子が一変、白銀は押し黙る。
「クロエはよく体調を崩して保健室に行ってたわ。それも必ず白銀クンが付き添って。それって今みたいなことが度々起きてたってことでしょ?」
「……やはり、気付かれていたか」
「当然よ。それも悪くなるのはきまって左目の傷を指摘された後だった。あの傷が関係してるのね?もしかして、白銀クンの顔の傷も?」
隠し通し続けられるとは到底思っていなかったが、予想以上にアイリスの読みは鋭い。
サラとイセラも、アイリスに続いて問い詰めてくる。
「白銀くんはクロエのことを想って内緒にしてるんだろうけどぉ〜。私たち、これでもクロエの友達なのよぅ?」
「レディの言うとおりだね。友人が辛そうにしているのを黙って見過ごすわけにはいかない。私たちには理由を知る権利があると思うけどね?」
ユーリはこの緊張した空気が怖いのか、アイリスの背中に隠れながら、それでもじいっとこちらを見つめていた。
ぐ、と唇を噛み締める。彼女たちに言葉を返すのが辛かったが、白銀の気持ちは変わらなかった。
「………話すわけにはいかないんだ。これを話せばクロエが…」
「クロエだけの問題じゃねェぜ!」
不意に、バン!と勢い良く引き戸が開かれ、レヴィンとフローレンスが入ってきた。
アイリスとユーリがとことこと駆け寄っていく。
「シドくんはもう大丈夫なの?」
「みんな心配してるよぉ…」
「ああ、お嬢様の治療のおかげでピンッピンしてるぜ。……ちょっと変な修羅場になりだしたから出てきたんだけどよ」
修羅場?とみんなして首を傾げた。レヴィンはそれ以上言いたくないようだった。
「それよりもだなァ」
レヴィンは、ずんずんと大股で白銀に近づいて行く。そして、がし、と唐突に襟首を掴み上げた。
一触即発の空気。堪らず、フローレンスが「何をいたしますの!」と言って止めに入る。皆も明らかに慌て出しているが、レヴィンは無視する。
「なァ、白銀。俺は今まで、お前がクロエのために頑張ってんのをずーっと見てきた。なんでそこまでするのか当然気になったけどよ、我慢して聞かねェようにしてた。なんでか分かるか?」
「………俺のことを、尊重してくれていたのだろう」
「ああそーだよ!だって俺とお前はダチだからな!……けど、こーなっちまった以上はもう黙ってられねェぜ。いい加減、お前が一人で全部抱え込んでる姿を見んのは限界だ!」
レヴィンが、ぐい、と白銀を眼前に引き寄せる。
「クロエも、白銀も、俺たちもこいつらもみんな!もう同じ船に乗っかってんだよ!!だから白銀も肝据えて教えてくれよ!!俺達も、クロエのために協力してェんだよ!!」
レヴィンの言葉は、この場にいる皆の声を代弁したようなものだった。うんうん、と後ろで皆が賛同して頷いている。
彼らは本当にクロエの身を案じている。信じていいのだということは分かっていた。それでも、まっすぐ彼らを見つめ返してやることが出来ない。遠いあの日に、約束したから。
「駄目だ。俺には……言えない」
「……ッ!! っこんの、頑固野郎がァッ!!」
言うなり、レヴィンは渾身の力で白銀を殴りつけた。
ドシャァッ、と体が床に叩きつけられ、同時にアイリスやサラたちの悲鳴があがる。
「お止めなさい!ご友人を殴るだなんて、何を考えていますの?!」
「放せお嬢様!こんな頭の固ェ奴、拳で分からせるしかねェだろ!!」
フローレンスがレヴィンを止めようとして腕にしがみ付く。揉み合う二人を見ながら、ぐい、と口もとの血を拭う。
馬鹿力で殴られた頬が、痣となってひりひりと痛む。これは、彼らの決意を蔑ろにした自分への当然の仕打ちに思えてならない。
「……白銀」
「姉上?」
す、と突然刀祢が背中に寄り添ってきた。
腫れている頬をひと撫でし、それから、耳元で囁きかけてくる。
「もう止めましょ、白銀」
「姉上っ?!」
その言葉に驚愕し、咄嗟に振り向いて掴みかかる。
「何を言ってるんだ!誓っただろう、このことは永遠に俺達だけの秘密にすると…!!」
「もうそれも終わり。これからは、この傷はみんなと共有するべきだわ。じゃないと、いつまで経ってもクロエは心の痛みを乗り越えられない。白銀、あなたもよ」
刀祢の強い言葉に、一瞬、言葉が詰まった。
それでも、しかし、と言って食い下がろうとすると、手で優しく制される。それから刀祢はスッと立ち上がった。
「あなたが言えないなら、私が言う。―――六合!いるかしら?!」
「ここにおります、刀祢さま!」
主人の声に反応し、何所からともなく六合がしゅたたっと現れ、足元で平服した。
刀祢は六合に微笑みかけると、そっと面を上げさせる。
「あなたにも聞いてほしいの。ずっと内緒にしててごめんなさい。私たちの傍にいたあなたこそ、隠し事をされて一番辛かったわよね」
「いえ…、僕は大丈夫です。お二人のご意向に従うまでです」
「ありがとう……六合」
ぎゅ、と刀祢は六合と抱擁を交わした。
おい、と唐突にレヴィンが口を挟む。
「六合にも言ってなかったのかよ?」
「……彼が私たちに仕えるようになったのは、あの事件の後だったから」
「『事件』……。それが全ての元凶なの?クロエや白銀クンはよく『あの影が…』って言ってたけど、その関係?」
刀祢はアイリスの問いに頷きながら、皆の方を振り向く。その二重目の眼に、強い意志を秘めて。
「ええ。長くなるけど聞いてちょうだい。あれは、私たちが東方にいた頃の話よ………」






9年前、東方の地―――――
当時、刀祢・白銀姉弟は共に9歳。名門侍一族の後継者候補として、剣と、後継ぎたる心構えを学びながらすくすくと育っていた。一族の私有地は広く、住まいのすぐ裏に広大な山林がある。二人はよくここに出向いて修行をして過ごしていた。
「いーい?白銀、今日はもっと奥の方に行くわよ!」
「はい、姉上!」
姉に手をひかれながら、山林の奥へ奥へと進んでいく。この時はまだ白銀の頬に傷はなく、ごく普通の少年の顔立ちだ。
やがて、修行に丁度よい開けた場所を発見すると、向かい合って剣を構える。双子の姉弟の力比べ。これが二人にとって一番てっとり早く、確かな上達法である。
「行きます、姉上!」
「どこからでもかかってきなさーい!」
草鞋を踏みしめ、白銀が剣をふりかぶった瞬間、

オオオオオオ―――――――ン………

遠くの方から、何かの鳴き声のようなものが聴こえてきた。
耳鳴りのように不快なその声に、姉弟はぴたりと剣を振る手を止める。
「何かしら?」
「動物の鳴き声……ではないですね。魔物かもしれません」
「ここら一帯はうちの私有地よ?野生の魔物が住み着いているはずないわ。もしかしたら侵入者かも」
刀祢の意見に、白銀も納得して頷く。幼くとも、二人は一族の血を色濃く引く剣士。自分たちの地を荒らす者を見過ごしてはおけない。
「様子を見てきます」
「私も行くわ!」
二人は、決してお互いから離れぬよう気をつけながら、声のした方へ走りだした。






「このあたりから聴こえたと思うんだけど……」
そこは山林のかなり奥の方で、一族の私有地としても端のほうにあたると思われる。歩いているうちに、いつの間にか空が曇り始めていた。数分も経たないうちに、サァァ、と霧雨が降り出してくる。
「……姉上!こちらへ!」
ぐい、と白銀は姉の手を引っ張って茂みに隠れた。
どうしたの、と刀祢が呟くが、すぐにそのわけを理解した。
急に、ただならぬ気配が波のように姉弟に襲いかかる。近くにいる。しかも想像していたよりもずっと強大だ。
「……来るわ!」
二人の体に緊張が走る。が、すぐに変な違和感を感じた。
「待ってくれ姉上…何かおかしい。あれは…?!」
山林の奥から、黒い大きな影がこちらに向かってくる。その前を、何故か一人の少女が走っていた。
息も絶え絶えに、体中を大量の血――少女のものではない、恐らく返り血だ――で濡らしながら必死に逃げている。
「あっ!」
少女は、小石につまづいて転んでしまった。
慌てて立とうとするところへ、間髪入れず、巨大な魔物が襲いかかった。覆いかぶさって少女を逃げられないようにし、グェハ、グェハ、と気味の悪い鳴き声で笑いだす。
魔物の風貌は、見たところ銃魔神族のアドナキエルのようであったが、それにしても大きすぎる。しかも普通には考えられぬほど、その体型のあらゆる部分が不気味に変形していた。
「あ゛あぁいやあぁぁっ!!放してっ放してぇぇっ!!」
「グォォオオオッッ!!」
次の瞬間、じたばたと暴れる少女の左目を、異形の魔物の光線が縦一文字に駆け抜けた。
「あ゛あぁぁぁぁあああっっっ?!!!」
みるみる血が吹き出し、少女の黒い大きな眼が真っ赤に染まる。激痛の走る目を押さえて少女はのたうち回った。
「止せぇぇっ!!」
「白銀っ?!」
堪らず、白銀は茂みから飛び出し、勢いよく魔物に斬りかかる。
毎日稽古をしていたから、太刀の強さには自信があった。肉まで叩き斬ったつもりだったが、それは、無情にも魔物の足に少し傷を負わせただけだった。
「何だとっ…、…うわぁっ?!」
魔物は、グルゥ、と不快そうな声で鳴き、今度は白銀の上に覆いかぶさってきた。
「う、ぐ…!」
首を掴まれ、その手に全体重をかけられる。喉と肋骨がみしみしと悲鳴をあげ、苦しさで息ができない。
このままでは殺される。咄嗟に、かろうじて持ち続けていた刀を魔物の手に突き刺す。グォォ、と魔物は悲鳴をあげてのけ反った。圧し掛かっていた重力が緩み、白銀はやっと呼吸が出来るようになる。
「っはぁ、っはぁ…!」
「危ないっ!避けて、白銀――っ!!」
息をするのに夢中になっていると、刀祢の叫び声が耳を打つ。え、と声をもらしたのも束の間、次の瞬間、顔に魔物の鋭い爪が振り下ろされた。
「っぐぁ…ああああぁぁぁっっ!!」
「白銀ぇぇ――――っっ!!!」
魔物は一度だけでは飽き足らず、何度も何度も切り付けてくる。あっという間に顔が血の色で染まった。
「このっ…、弟を放しなさ――――いっっ!!」
刀祢が咄嗟に刀を投げつける。それは魔物の赤い目のうちの一つに突き刺さり、グォォォォ、と魔物は大きく背を弓なりに反らし、白銀から手を離してその場にじたんばたんと体を打ちつけ悶え始める。
「今だわ…!白銀、今のうちに逃げるわよ!!」
「あ、ああ…っ」
視界が血と顔の痛みでぼやけ、足がふらつく。刀祢に手を引かれるが、慌てて「待って下さい!」と叫ぶ。
「俺は、自分で歩けます…!だから、代わりにあの子を、連れて行って、ください…っ」
「……分かったわ。」
白銀の手を放すと、刀祢は少女を抱きかかえた。押さえている左目からまだ血が流れ続けている。早く手当てをしなければ。
家へと帰る道中、何度も刀祢が後ろを振り向いてくる。心配無用です、ちゃんと付いて行きます、とその度に答えながら、急いで山林を走り続けた。









>>後編に続く



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