ワードオブペイン 後編



別にこの話が進むのを阻止したいとか、そんな簡単なものじゃなくて。

ただ胸にざわつくこの想いがなんなのか、その答えを探す事だけが一番の難解な問題だった。






ードイン 後編






「…………っ」
……耳の奥ぐらいに遠い所から聞こえる水音で、ふとジェイドは目を覚ました。ふらり、と未だ覚束ない足取りで立ち上がり、目元にない眼鏡を探す。数分して、床に無造作に落ちていた眼鏡を発見し、静かにかける。そこで冷静に状況判断をして、ここが自分の執務室であることを思い出した。そして、昨日此処に篭ったまま眠ってしまった事も。
僅かにいつもと眼鏡のかけ具合がおかしい事に気付いて一度軽く外すと、フレームの端が少々曲がっているのに気がついた。昨日、力任せに投げつけた報いか……と無言で突きつけらているような気がして、溜息をつきながらかけ直した。
心が、怖いほどに静寂だ。昨日とはまるで違う、静かな波のように。
しかしそれと正反対に、なんだか胸の奥で、ざわざわと嫌な予感がするのは気のせいではないだろう。何せ、昨日が昨日なのであるから。
皆の所にそろそろ戻らねばならない、と思った。ほぼお人よしの性格が集まったようなものであるから、あまり心配をかけてしまうと後々が面倒だ。しかし――昨日彼女を、アニスを追い払ってしまった事を、今更どう対応すればいいのか悩ましい。
いつものようにうわべの笑顔を絶やさなければ特に問題はない筈なのに、それが出来ないような気がした。
……本当に柄にもなく、今の自分が無力な気がして。
「…バカですねぇ。いつの間にこんなに感情が出るようになってしまったのか」
「そうだな、お前は本物のバカだ」
いきなり湧いて出たように降ってきた言葉に反応しバッと振り向くと、案の定居た。…ピオニーが。
「…おはようございます陛下。早朝早々になんの御用でしょうか?」
まだ色々準備は出来ていないものの、早急に対応するべく、いつものような無表情に笑みを浮かべたような顔でピオニーにそう言う。ピオニーはジェイドとは似たよう似つかない、そんな静かな笑みをしていた。
「いや。ただ、いい加減気付かせた方がいいと思ってな」
「説教でもするつもりですか?陛下」
嫌味っぽく言うと、軽くピオニーは笑った。
「はは、そうだな、そんなものかもしれないな。……ジェイド。お前、俺があの子と添い遂げるのに賛成か?それとも、反対か?」
「…言われなくとも答えを陛下は知っている筈ですが」
動じずジェイドがそう返す。ピオニーは僅かに目を伏せた。
「そうだな。お前は反対すると思う。…ただ、それは身分が違うから、だけではあるまい?」
「…………他に何の要素があると」
「…あるとすれば、お前の私情だ」
途端、ジェイドが強張ったのを、ピオニーは見逃さなかった。そのまま一つ溜息をついた。
「本当に、いい加減素直になってしまえ、ジェイド。長年の付き合いなんだ…お前があの子をどう見てるかなんて、俺にはすぐに分かることだ。」
ジェイドはハッと顔を上げるとピオニーを見た。
「…図りましたか、陛下」
「まあな。お前があんまり気のない素振りをするから、俺がキューピッドになってやろうと思ったんだが…少々やりすぎたかもしれないな。すまん」
「本当に、全く余計なお世話ですよ」
柔らかく笑むピオニーに、ジェイドは呆れたように目を伏せ人差し指と中指でくっと眼鏡を調節した。
数秒開けてピオニーは息をつくと、ジェイドに向かって言った。
「なぁ、ジェイド。この約束は解消すると、お前から言って来てくれないか?」
「……事の発端の陛下が言うのが一番もっともらしいと思うのですが」
「そう言うな。頼まれてくれ」
なっ、と後押しするように言い両手を目の前に合わすと、ジェイドは呆れたように溜息をつきつつも、静かに部屋を出て行った。ジェイドが向かったのを確認して、ピオニーは呟いた。
「ホントに…言っちまえばいいのにな。………ってな…」






此方はルーク達の部屋。皆がベッドに腰掛けたり寝転んだり(ただしこれはルークのみ)しながら、暇な時間を過ごしている。が、空気が僅かに張り詰めている事は、皆分かっていた。実質ジェイドは部屋に戻ってこなかった。昨夜、随分と暗い表情をしてアニスが帰って来たことで、皆は無言でそれを黙認していた。
「……ジェイドどうしたんだろーな…」
不意にルークがそう呟く。すると静かに皆は口を開いた。
「…昨日から様子がおかしかったようだけれど…よくは分からないわ」
ティアがそう言う。その声とほぼ同時に、ルークはひょいっと起き上がった。
「旦那は何を考えてるのか分からないからな…今何処にいるのやら」
「帰って来ればいいのですけれど…」
ガイやナタリアが次々とそう言い、そうだなとルークが賛同する。そこでふと、一人隅っこのベッドに膝を抱えて座っているアニスが気になった。
「なあアニス。アニスは昨日ジェイドの所行ったんだよな?…何か言ってなかったか?」
ルークの問いと同時に皆の視線がアニスに集まる。アニスは皆に背を向けたまま呟いた。
「…べーつにー。ただ、私が玉の輿になるのが嫌ですかって聞いたら、すぐ追い出されちゃった」
「そっか…」
ルークがしゅん、と俯く。それを期に部屋の中に静寂が訪れ、シーンとした雰囲気に包まれた。
が、それを打ち破るかのごとく、いきなりドアが開いた。
「ジェイド?!」
ルークが叫ぶ。彼の言うとおり、突如現れた来訪者は、話題の人物であったジェイド本人だった。
「ジェイド、良かった、戻ってきて―――」
「心配かけてすみません。それより…」
安心した表情で皆が寄ってくるが、ジェイドはそう一言だけ残すと、くるりと視線を移動させる。そして、そこに居た、此方を見上げたまま呆けているアニスの腕をがしっと取った。
「?!」
「……アニス。ちょっと来て頂けますか?」
「え、え、えぇええ…?」
「…まあ…問答無用で連れて行きますがね」
困惑の表情のままのアニスにそう言うと、途端アニスの体を肩にひょいっと抱えた。
「はうあっ?!ちょ、大佐―――ッ?!」
言葉通り、問答無用で何処かへとアニスは連れて行かれていった。残された四人が、風の様に去っていった彼の行動に疑問を盛大に残し、暫く何が起こったのか理解に困ったという。






ジェイドにされるがまま連れて行かれて、早朝の為か誰もいない噴水の前で、漸くアニスは地に降ろされた。
瞬間、ジェイドを必死で見上げてアニスは抗議の声をあげる。
「もうっ!大佐ったらいきなり…!一体なんなんですかぁ?!」
ジェイドはアニスを見下ろすと、静かに話しだした。
「そうそう…陛下があなたを嫁にとるという約束を解消して欲しいそうなので、それを伝えにきました」
「はあっ?!ま、マジですかー?!あううぅ…玉の輿のチャンスが去っていくなんてっ…!」
アニスが頭を抱えてぶんぶんと大きく振る。その様子を、ただジェイドは見つめていた。そんなジェイドの様子に気がついたのか、アニスは動きを止め、ジェイドを見上げた。
「…大佐。なんだか、今日はいつもの大佐ですね」
「そうですか?…そうですね。昨日は、不覚にも取り乱していましたから」
ずれた眼鏡をついっと上げると、ジェイドは目を細める。
「……ああ、あと…昨日の答えですけれど…私は、反対でしたよ。貴女が私以外の誰かのものになるなんてね」
「えっ…?」
アニスが驚いたように目を見開き、頬がじわじわと赤く染まっていく。―――が、その意味を考える余裕を与えないまま、自らの身を屈めると、アニスの華奢な体をぐいっと抱き寄せた。



「大佐……?」
「………許せるわけがない…この身を私以外が抱きしめる事など…」



いつもより抱きしめる腕の力が強いのを感じて、アニスはじんわりとジェイドの想いを理解した。静かに目を伏せると、自分よりも大きな背におずおずと腕を回す。それに気がついて、ジェイドは思った。
今までずっとしつこく自分の中に渦巻いていたものに、自分のプライドが邪魔してずっと気付こうとしていなかった。ただ少し言葉を継ぎ足してやるだけで、そんなものすぐに分かるものだったのに。……だからこそ今はこの体を離さずにいたい、ただ、そう切実に願う。それが、柄にも無いことだとしても。
自分が変わったというのならば、変えたのは恐らく彼女だ。
そんな風にして沈殿していく思考の中で、ひとつ、思い出したようにあの冗談のきつい親友の言葉を思い出す。自らを送り出したあとに呟いた、かすかに耳に届いた、あの言葉を―――。



「ホントに…言っちまえばいいのにな。『あの子は自分のものだ』ってな…」



どうかいつかはそんな風になれることを祈って、ただひたすらに目の前の温もりに顔を埋めていた。










あとがき。
「ワードオブペイン」終了です。や、やっと、おわっ、た……!!(息荒
大佐が慌てるっつーか、嫉妬するというものを書きたくてやったものの、結構大佐とピオニー陛下の性格が難しくて詰まる詰まる…。それでもなんとかやり遂げられて良かったです。せ、性格いちいちおかしいのはそのせいで…ゲフンゲフン。
でもたまには感情がいっぱいいっぱいな大佐も悪くないかなーと思いますが…言い訳ぽくてすみませ。
こんなシロモノですが面白いと思っていただければ幸いです。



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