珥當


  注:珥當とは耳飾の珠のこと。本当は當には王偏が付くのですが、表示できないため代用しました。


「鳴賢、こっちこっち」
 見回した鳴賢の目に、食堂の隅の卓で手を振る鼠の姿が映った。
「楽俊、久し振り。待たせたか」
「いや、今来たところさ」
「元気だったか」
「ああ、鳴賢こそ」
 早速運ばれてきた料理に箸を付けながら、話しは弾む。
「どうだい、王宮暮らしは」
「うん、まあまあってところかな。元々俺は允許を取るのもぎりぎりだったし、国官になれただけでかなり運がいいと自分でも思うよ」
 半年ほど前に大学を無事卒業した鳴賢は、今は玄英宮で働いている。
「そんなに優秀な奴ばかりなのかぁ」
「そりゃそうさ。五百年間、毎年毎年その年に雁で生まれた一番賢い奴が採用されて、その中で更に優秀な奴だけが残っていくんだぜ。とんでもないところだよ」
「なるほど」
「朝が長いだけ官の質もいいのさ。大学に居た時から分かってはいたけどさ、俺って頭悪いんだなぁって毎日思うよ」
「鳴賢がかぁ」
「ああ。あそこまで頭の切れる奴ばっかりだと、もうそれを鼻にかける奴もいない。却ってさっぱりしていて、居心地は悪くないけどな」
 一番上に立つ者がああなので優秀なだけで狭量な官ではやっていけないのだろう、と楽俊は思ったが、敢えて口には出さなかった。
「ま、どうせ俺なんか二、三年もしたらもっと優秀な奴に取って代わられて、どっかの州城にでも行くことになるんだろうけど」
「今は天官府だったっけ。どんな仕事をしてるんだ」
「王宮に納入される反物や装飾品を扱う業者との交渉ってとこかな」
「あれ、お前んちって確か……」
「ああ。俺は元々細工物の材料を扱う問屋の倅だからな。直接自分の家と取り引きすることは有り得ないが、目は肥えているつもりだ。だから俺ごときが採用されたんだと思ってる」
「そうか。良かったじゃないか」
「ああ。勿論最終的に買い上げる品を決めるのはもっと上の方の人だけどな。それでも見本として持って来る品の範囲を指定したり、街に出て新しい業者を見つけたり、結構面白いよ。そのうち他州にも行く機会もあるだろうし。うまくすれば範にも行けるかもしれない」
 楽しそうに語る友人の顔を見て、楽俊も嬉しそうに話しを聞いていた。


「そういえばさ、延王に寵姫がいるって話し、知ってるか」
「ち、寵姫?」
「ああ。玄英宮の後宮にそういう類の女性はいないってのが大学じゃ通説だっただろう」
「今でもそうだよ」
「でもさ、後宮は時々、女物の装飾品を買ってるんだ。数は少ないけど、どれも最高級品ばかりだ。あれは絶対女官用じゃないぜ」
「へぇぇ……」
 心なしか力のない楽俊の合いの手に、鳴賢は気付かない。
「しかも、俺のところにまでさ、緋色の髪と碧の目に似合いそうないい飾り物があったら持って来させろって指示が来てるんだ。これは絶対、そういう髪と目の寵姫がいるんだと思わないか」
「……」
 最早楽俊は言葉も出ない。
「でさ、お前のところに風漢と一緒にたまに来てただろ、あの陽子って娘。いつも男のなりだったのに、一回だけ女の服で来たよな。すっげぇ綺麗で、俺、あれ、忘れられなくてさ。緋色の髪と碧の目っていったら同じだろ。で、俺、品物選ぶ時、あの娘に似合いそうな物にしてるんだ」
「……」
「そうしたらさ、俺が陽子になら絶対に似合うだろうって思ったのが、大抵採用になるんだ。きっと延王の寵姫って陽子に似てるんだぜ」
「あ、ああ。……今度陽子にあったらそう言っておくよ。きっと喜ぶだろう」
 やっとの思いで楽俊は言った。
 楽俊の困惑には気付かず、酒が回ってきた鳴賢は益々饒舌に語る。
「そうだよな、正妃じゃないとはいえ、この雁で一番美人ってことになる女に似てるんだぜ。陽子絶対喜ぶよな。って、陽子もすごい美人だけどね。うん、それにさ、陽子のいいところって、美人の癖に気さくでさ、気取らないところだよね」
「う、……うん」
「普段は男みたいな格好でさ、でもそれが良く似合っているんだ。後宮でなよなよしてるだけの女より、絶対いいよなぁ」
 勢いを増す鳴賢の言葉に楽俊はますます言葉を失い、呆然と黙りこんだ。最早酒の味など皆目分かりはしない。
「あれぇ、楽俊、お前、あんまり呑んでないじゃないか」
「そ、そんなことはないよ。そ、それより、鳴賢、お前延王に会ったことってあるか」
 何気ない風を装って楽俊は聞く。答えは分かっているのだが。
「ある訳ないだろ。王といえば文字通り雲の上のお人だぜ。俺みたいな下っぱは雲海よりずうっと下の外宮で働いて、そのうちどっかの州城に出されるか、俺だったら仙籍返上して細工物の店かなんかに潜り込むかで、一生王に御目通りする機会なんてないだろうよ。ま、あったとしても平伏してなきゃならないから、お顔は拝めないしな」
 自嘲気味の鳴賢の言葉に、楽俊は僅かにほっとした表情を浮かべた。
「そう……だよな」


 数日後、鳴賢は組み紐を扱う店にいた。次の納品日に持参させる品の確認に来ていたのだ。王や寵姫といった最高位の貴人の為の品から、官のお仕着せに使うもの、果ては街へ降りる機会のほとんどない高位の女官が私的に購入するものまで、品の幅は広い。その全ての要求に答えられるだけの大量の品揃えを確認し終え帰ろうとした時、店先に飾られた一本の組み紐が鳴賢の目に留まった。
 細い銀糸の間に、碧の糸が一筋、複雑な文様を描いて組み込まれている。その碧の色に陽子の瞳を思い出し、鳴賢は足を止めた。
「これは……」
「はい、髪を結う為のものです」
「出して見せてくれ」
 手に取ると紐は、見た目とは異なり柔らかく弾力があった。
「随分柔らかいな」
「はい。髪を括った際によく馴染むようになっております」
 これはきっと男装の陽子によく似合うだろう、と鳴賢は思った。あの緋の髪には仰々しい飾りはいらない。これ位のすっきりした組み紐こそ、あの緋色の美しさを引き立てる筈。
 そこまで考えて鳴賢は溜め息を吐いた。
 いくら何でも、自分が陽子にこれを贈る訳にはいかない。楽俊に渡せばいつかは届くだろうが、それでは一体いつになるか分からないし、まず受け取ってもらえるとも思えない。本人は戸惑うだろうし、風漢は嫌な顔をするに決まっている。第一自分の薄給で気紛れに手が出せる額でもない。
「どうなさいました」
 考え込んでいる鳴賢に店員が声を掛けた。
「いや、何でもない」
 我に帰った鳴賢は手に持った紐を見下ろした。そのまま返す気にもならず、店員に渡した。
「これも持って来る中に入れてくれ」


 更に三ヶ月程過ぎたある日、鳴賢は突然天官長帷湍に呼び出された。
 天官長など採用された時に一度、皆の前で訓示をする姿を見たきりである。一体自分はどんなとんでもないへまをしでかしたのか、不安に駆られつつ鳴賢は指定された堂室に足を向けた。
 緊張して畏まっている鳴賢を迎えた天官長は気遣わしげな表情を見せ、開口一番言った。
「お前、心臓は丈夫か」
「は?」
「いくら仙でも心臓が止まれば死ぬだろう。覚悟しておけよ」
「はぁ」
 鳴賢にはさっぱり話しが見えない。
「実はな、先日お前が納入させた銀の組み紐、覚えているか」
「は、はい」
 やっと理解できる話しになりそうだ、と鳴賢は密かに喜んだ。
「あれが偶然主上の目に留まってな。陽子様への贈り物にしたところ、陽子様も大変お気に召したらしい」
 では噂の寵姫も字を陽子というのか、と偶然の一致に鳴賢は感心した。今度楽俊に会ったら教えてやろう。
「調べたところ、お前は他にも陽子様がお似合いになる品をいくつも見つけて来ていることが分かった。そこで主上から直々にお前にお言葉があるそうだ」
「え……」
 呆然としたままの鳴賢を引き連れて、天官長は廊下を進んだ。陵雲山の上、鳴賢が最早自分の位置を全く把握できない程奥まった一室の前で、天官長は歩みを止めた。
「いいか、気をしっかり持つんだぞ」
 天官長の言葉に疑惑を抱きつつ、鳴賢は平伏したまま堂室の中に進んだ。
「鳴賢、久しいな」
 よく通る声がした。
 王宮では決して呼ばれることのない字に思わず鳴賢は頭を上げかけ、慌てて平伏しなおした。
「平伏なんてせんでいいぞ」
 確かにきき覚えのある、よく響く低い声。
 恐る恐る顔を上げた鳴賢は、声を失い硬直した。


 暫く後。漸く自失から立ち直った鳴賢に天官長が言う。
「我が雁国の王がこんな奴だったというお前の嘆きはよぉく分かる。分かるが、諦めるしかないんだ。いいな」
「ひどい言われようだな」
 延王――風漢が顔を顰めた。
「当たり前だ。大体お前が大学なんぞに遊びに行くからこういう被害者が出るんだ」
 尚も文句を言いたげな天官長を無視して、延王は鳴賢に言った。
「ところで、お前を見込んで頼みがあるんだが」
「は、はい。」
 鳴賢は気を引き締めて延王に対峙した。
「陽子に似合う珥當を探してほしい。男装の時でもできるような、小さくて垂れ下らない、すっきりした奴だ。できるか」
「はい」
 得意分野に話しが移り、鳴賢はやっと少し自分を取り戻した。
「少しでも重かったり、邪魔になったりすると陽子は嫌がるからな。時折後宮の女官が無理矢理飾り立てて喜んでいるが、俺の欲しいのは普段の陽子に似合うものだ。分かるな」
「はい」
 鳴賢は強く肯いた。男装の陽子に似合う珥當。そう、余計な細工はいらない。あの瞳に負けない深い碧の、石そのものが美しい珥當。
「では頼んだぞ。他の誰に言っても、慶国の王の肩書きに負けて妙にごてごてしたものを選んでくるのだ」
 愚痴っぽく言われた言葉に、立ち直りかけていた鳴賢は再び硬直した。
「景王……」
「ああ、そうだ。そういえば言ってなかったな」
 楽俊――延王の言葉をどこか遠くで聞きながら、鳴賢は心中で親友に語りかけた――、楽俊、俺、きっともう一生、何が起ころうと驚いたりしないぞ……。


 後日、一対の珥當を買い付け見事王命を果たした鳴賢は、その功により後宮の寵姫担当の天官として異例の出世を遂げた。この後誰が言うともなく、彼の字は「珥當」となったという。


(了)




 小説掲示板に「来訪者」の後日談として掲載したものです。
 読み直して初めて気付きました。この話し、結構長かったんですね。一気に書いたので、もっと短いと思っていました。
 実は私、行政職の公務員をしていたことがあるもので、こういう下っ端の官僚の感じってすごく分かるのです。官僚ネタ、好きですね。また書きたいな。



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